「東下りの東海道新幹線で-」。京都新聞の朝刊連載に使用された言葉が、ツイッター上で話題を呼んでいる。新幹線は東京へ向かうのが「上り」。それをあえて「下り」と表現したことについて「東海道新幹線を略しまくった結果かと思った」などと言われているが、「辞書にも載っている正しい言葉ですよ」という投稿も。そうなんです。実は古式ゆかしき言葉なんです。筆者の大学教授に解説してもらった。
連載は「古典に親しむ 新古今和歌集の森を歩く」。日本の古典文学を専門にする京都産業大の小林一彦教授が執筆している。
ツイッターで話題になったのは、奈良時代の歌人山部赤人が詠み、小倉百人一首にも選ばれている「田子の浦にうち出[い]でてみれば白妙[しろたえ]の富士の高嶺[たかね]に雪は降りつつ(田子の浦に出てみると、真っ白な富士の高嶺に雪が降り続いている)」という歌を取り上げた回だ。「東下りの東海道新幹線で、視界が開け車内が急に明るくなる場所がある」という書き出しで、車窓から見える富士山を取り上げながら、赤人の歌を分かりやすく解説している。
どういう意図で「東下り」という言葉を使ったのだろう。小林教授を大学に訪ねると、平安時代の歌物語「伊勢物語」の「東下り」と呼ばれる場面のコピーを見せてくれた。歌人の在原業平がモデルとされる男が、京都から現在の静岡県を通って東京都へと向かう様子が描かれている。確かに現在の東海道新幹線と同じルートだ。
「東海道という行政区画と街道は昔からあったんです。そこに後から『新幹線』という言葉がひっついて東海道新幹線という言葉ができたわけです」。小林教授は歴史的な経緯をそう語り、「『上り』なのに『東下りの東海道新幹線』とは違和感があるかもしれませんが、あくまでも新古今和歌集の時代について紹介する連載ですから、その気分に浸ってもらうために使ったんです」と説明した。
なるほど、新古今和歌集の世界について語るのであれば、京都から東に向かう東海道は「下り」という言葉を使うのがふさわしいのかもしれない。
「京都の人は、今でもあまり東京へ行くことを上京とは言わないですね」と小林教授。古典の世界を理解するには京都ならではの感覚がぴったりかもしれない。