訪ねた「お地蔵さん」3000か所以上! ネットに所在地記録し続ける男性の思いとは

樺山 聡 樺山 聡

 街を歩けば地蔵に出くわす。京都市内に無数にある「お地蔵さん」を一人でこつこつ訪ね、写真撮影。インターネットの地図上に所在地を記録する男性がいる。その数、3千カ所以上。6年以上かけて足で稼いだ労作なのである。もちろん無料公開。どんなに多くの人が利用したとしても、作者には一銭も入らない。なのに森篤さん(55)=京都市上京区=は今も貴重な休日を路傍散策に費やす。民衆信仰の形を探す旅は現在進行形。彼をそこまでかき立てるものとは何なのか。

 お地蔵さんは動かない。不動の代名詞。そう思っていた。

 「新しく出現することもあるんです。京都ですから、家を新築する際に地面から出てきてまつられる。よその土地から引っ越してくる時に持ってくることも。山陰地方から持ってきたという例を聞いたこともあります」。長く地域で拝まれて、時を駆ける地蔵菩薩は、県境も越える。

 とはいえ、世界に冠たる高齢化大国ニッポン。その数は減りつつある。

 「最近は、家の方が亡くなって財産分与で土地を分割して処分する際に残せなくなって、やむなくお寺に納める例も聞きます」

 いつまでも、あると思うな親と金と、お地蔵さん。

 「調べ始めた頃に撮影したもので、今は残っていないものが結構あります。だから気づいた時に新しい情報を更新をしています」

 意外にはかない地蔵界。だからこそ貴重な森さんの網羅的記録に終わりはない。

 グーグルのマイマップで「京都のお地蔵さんmap ~西陣を中心に~」を森さんが公開したのは2015年。ページを開くと、行政区ごとに色分けされたお地蔵さんの所在地が地図上に表示される。見たい地点をクリックすると、写真とともに撮影日時や住所などが参照できる。

SNSの話題に

 「そもそものきっかけはSNSの話題づくり。人づきあいがあまり得意ではないので、自分から発信する場としてフェイスブックを始めた時、一番親しみがあって、たくさんあるものは何だろうって考えました」

 仕事を終えての帰路。休日。徒歩や自転車で周辺を巡ると、普段は厳重に施錠した「ほこら」で守る場所もあれば、野ざらしで風雨にさらされ、顔の凹凸もほとんどないお地蔵さんも。場所によっては、毎年夏の地蔵盆で地域の子どもたちが色を塗り直す「化粧地蔵」が灰色の路上を彩っていた。石仏だけでなく、木像もあった。

 森さんが住む町内は、お地蔵さんを収蔵する「ほこら」もなく、厨子(ずし)に入ったお地蔵さんを年ごとに持ち回りで各家が守っていた。普段は各家庭でお供えをし、年に1、2回、開帳して近所の人々にお参りしてもらう。そんな形だった。

 次々と打ち破られる常識。中には、1995年の阪神大震災でお地蔵さんの頭が落ちてしまったが、そのおかげで町内では被害がなかったと語る人もいた。「身代わり」として地域の平穏に尽くす路傍の守り神。熱心な「お地蔵さん巡礼者」になっていった。

 13年にフェイスブックへの投稿を始めた。そのうち、備忘録のつもりで公開はせずにネットの地図上に記録を始めた。ある時、知り合いに地図を見せると面白がってくれた。要望に応え友人限定から徐々に公開範囲を広げた。

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