「調査」はいたってシンプル。当てもなく地区を歩く。慣れるほどに「嗅覚」が発達していった。
「この辺にありそうだなって感覚的に分かるようになっていきました。この辺はあんまり見つからないな。なんでだろうって思って古地図を調べてみると昔は畑ばかりで、なるほどと納得したり、逆にどんどん見つかる所は昔から小さな集落で、古い街道沿いだったりする」。路地をさまよいながら、呼び覚まされる土地の記憶。ひととき、日々の雑事から解放される。
地図をネット公開し、世界に発信したことで「サミット」にも出席した。
京都市内で15年に開かれた「お地蔵さまサミット」に展示で参加した。そこで出会った芸術家の依頼で、長崎県・対馬のお地蔵さんを調査するという機会にも恵まれた。「朝鮮通信使の影響で、京都や大阪の商人たちが移り住んだ地区があり、地蔵盆の風習が残っているようです。それまで出会うことがなかった研究者や芸術家と交流する貴重な機会をもらった」
地蔵盆の風習が色濃く残る京都市内。お地蔵さんを対象にした大学の研究者による調査例は少なくない。ただ、個人でひたすら事例を集め、一覧的な情報を公開しているのは珍しいだろう。
大きな戦災被害もなかった京都には歴史財産がごろごろある。過去へとつながる時空の割れ目がそこここに潜んでいる。作家の故赤瀬川原平さんや建築史家の藤森照信さん、イラストレーターの南伸坊さんらでつくる「路上観察学会」が1986年に、ここ京都の街をフィールドに選んだのは、まだまだ発見されていない風景が道ばたに転がっているからだろう。身近過ぎて、そこにあるのが当たり前。ことさら目を向けられないお地蔵さんの一覧地図は、京都の貴重な証言資料であり、京都観光にも欠かせない汗と涙の結晶である。
「研究は民俗学など専門の方に任せるとして、私としては目と足で稼いで、できる限り写真に残して整理できればと思っています」
森さんは花園大の福祉学科を卒業後、知的障害者が暮らす市内の施設で働いている。福祉とは何なのか。その問いに、現場で向き合ってきた。「利用者さんの喜怒哀楽に向き合う。個人では限界があるので自分の技術を磨きながら組織としてより良い生活を提供できるか考えてきました。まだまだ未熟者ですが…」
お地蔵さんは語らない。そこにいる。ただそれだけ。「言葉を返してくれる訳ではないですが何とも癒やされる。日々の全てを見透かしているようで、自らを振り返らせてくれる」
年を重ね、公私ともに忙しくなった今も月に2回ほどは休日に時間を作り、まだ手つかずの地域が残る郊外を歩く。一つとして同じ姿はない。この世で生きる喜び悲しみ切なさに寄り添う名もなき「路傍の仏様」は、たまらなく美しく、いとおしい。次は、どんな出会いがあるのだろう。
「妻や子どもにも半ばあきれられてます」
素朴で穏やか。控えめな「巡礼者」の立ち姿が一瞬、お地蔵さんに重なった。