「お金ない」「恋人に刺される」?!…悩めるバンドマンに引っ越し割 震災で音楽志した業者のニクイ心意気

広畑 千春 広畑 千春

―え…と、刃傷沙汰もホントなんですか?

 「これは知り合いですねー(笑)ほとんど人が入ってないライブハウスで、彼女4人が鉢合わせしたらしく…。本人は『刺さる一歩手前やった!』と言うてました(苦笑)バンドマンってやっぱりモテたくて始めるし、千原せいじさんじゃないですが、モテたあてやってるやつが多いと思いますけど、怖いですよねえ~」

―いやいや、そんな他人事のように…って他人事ですけど、そうまでして続けたいのは?

 「人それぞれでしょうけど、僕が初めにバンドやりたいと思ったのは、阪神・淡路大震災がきっかけなんです。当時小学生だったんですが、東灘区の家は全壊して、大学の体育館の避難所で暮らしてた。そこでボランティアの方が息子さんのライブチケットをくれたんです。母親と大阪まで行って見たライブは、とにかくめちゃくちゃカッコよかった。見たことない世界だったんです。それまで避難所には娯楽が一切なく、毎日炊き出しのおにぎりを食べて近くの川までポリタンクに水を汲みに行く日々。すごく輝いてた。でも楽器もできず音痴だったし、実際にバンドが組めたのは高校生になってから。以来、歴はン10年になります(笑)」

―やめようとは思わなかったんですか?

 「バンドって長く続けるのが一番大変なんです。あ、ちなみに僕、ずっと公称24歳なんですが、10代のうちは『20歳になったらやめる』、20歳になったら『22ぐらいまでやってみて…』となり25歳ぐらいでやめていく人が多い。25歳になると『30歳までやってみて何にもならへん男は終わりや』となって、30超えると『一生やーろうっ♪』ってなるんです。売れるか売れないかより、お客さんに楽しいと思ってもらいたい、良いものを作りたいという職人的な楽しみ方になるというか」

―な、なるほど…。今は本業が運送屋さんで、夜はバンドマンなんですね。

 「もともと父が運送屋をしていて、いろいろあって跡を継いだんですが、個人事業主なのでマージンが要らない分、こんな値段でもできるんです。遠いところなら丸1日使ってこの儲け?…と言われることもありますけど、ビンボーなバンドマンに感謝されて、一緒に音楽の話なんかしながら荷造りして、『ほなまたライブハウスで』って、儲け以上のものがもらえるかな、と」

 と、めっちゃいいことを言って締めてくれました(笑)こんな業者さんなら、いろんな悩みも解決してしまうかもしれませんね!

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