おごそかな雰囲気の中執り行われた「即位礼正殿の儀」。安倍晋三首相が万歳三唱をした際の手のひらの向きが「内側」だったことがネット上で取り上げられ、話題になりました。SNS上には「手のひらを相手に向けるのは降参という意味。正式な作法は手のひらを内側に向ける」と安倍首相を称賛し、手のひらを前に向けていた過去の政治家らを批判する投稿も。ところが、実は、その根拠とされた「万歳三唱令」なる文書は、平成の始めに遊びで作られた「偽書」。過去に幾度も報じられている「ウソ」がなぜ、「マコト」として広がっていくのか。研究者に聞きました。
「万歳三唱令」は、正式の万歳の仕方を定義したと称する文書。「太政官布告第168号」とし、直立不動の姿勢から「万歳ノ発声ト共ニ右足ヲ半歩踏出シ」、この際「両掌ヲ正シク内側ニ向ケテオクコトガ肝要ナリ」などと本物そっくりの体裁で書かれ、「施行日」まで記してあります。2003(平成11)年ごろまでに全国から国会図書館へ真偽を問いただす問い合わせが急増し、各社が「偽書」であることを報じました。
それでも「本物」と信じる動きは止まらず、衆議院解散や選挙の当選時にも、手のひらを内側に向けて万歳をする政治家が増加。「憲法発布に伴い」との文言が追加された「明治22年版」も登場。ネット上にも「正式」とした動画やブログなどが出回る中、2017年、熊本日日新聞に「万歳三唱令を創作した」という3人が名乗り出たといいます。
同紙の取材に同席した立命館大学の佐藤達哉教授(社会心理学)によれば、「正式な万歳」の形が生まれたきっかけは、ゴルフのコンペの宴席。ある人がふらつきながら立ち上がるような格好の万歳を行ったのがきっかけで、1989(平成元)年か1990年ごろ、暇を持て余していたときに「万歳三唱令というものを作ってみよう」と思い立ったといいます。
廃刀令(明治9年)と断髪令(明治4年)と合わせて「明治三大布告」とすればより本物らしいと施行日を明治12年とし、3人で「正しい萬歳三唱を普及する国民会議(正萬会議)」(!!)なるものを立ち上げ、国会図書館で見た本物の太政官布告をモデルに作成。その後「宴席限定で」と広めていたのが、いつの間にか縛りがなくなり「本物」としてひとり歩きを始めたといいます。虚偽自白も研究テーマとしている佐藤教授は「彼らはいわゆるフェイクニュースを作ろうとした訳でもない。元は面白さで始まったものが、文書化されたがために謹厳実直なバンザイが強制されるようになったなら、彼らにとっても皮肉。3人とも『断固として正式なものではない』と話し、むしろ憤っていた」と振り返ります。
今回、安倍首相の万歳は、「右足を前に出すという動作がなかったので、万歳三唱令そのままではないが、『直立不動の万歳』と三唱令にある『手の平を内向きに』という所作が融合した形だった」と佐藤教授。本来、万歳は中国で皇帝の長寿を願った「千秋万歳」が起源といわれ、それが東~東南アジアの漢字文化圏に広がったとされていますが、日本では同じ動作で「お手上げ」という意味を示すため「意味的に嫌われてしまう面がある」と指摘します。その上で「万歳に正式な作法があっても不思議ではないと思っていた人々の考えに、偽書がうまくフィットしたのでは」とし、「本物かどうかは調べればすぐ分かるのに、ウソの話をみんなが頑張って面白くし、本物らしく伝えるという意味では『民話』に近い」と話します。
ちなみに、日本政府の公式見解では「『公式に定められたもの』は存在しない」(2010年2月12日答弁第70号)であり、辞典にも「両手を頭上に高く振り上げる動作」(三省堂大辞林)とあるだけです。「『正しいやり方』ということに意味がないだけで、心を込めてする万歳であれば、そもそもどんな方法でも構わないはず」と佐藤教授。
平成の始めに生まれた「ウソ」が令和の始めに「マコト」になってしまった、怖さも面白さも含め、その現場を私たちは目撃したのかもしれません。