江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の孫で、昨年6月に初の自叙伝「徳川おてんば姫」(東京キララ社)で95歳にして作家デビューを果たし、同7月1日に老衰のため死去した井手久美子さんの一周忌法要が6月30日に千葉県君津市内の圓明院で営まれた。遺族は当サイトの取材に対し、上皇后美智子さま(84)が皇后だった昨年、久美子さんの著書を読まれた感想を寄せられていたことを明かした。
久美子さんは1922(大正11)年9月22日に当時の東京市小石川区にあった徳川家の屋敷で、貴族院議員の公爵・徳川慶久(慶喜の七男)の四女として生まれた。侯爵家の長男と18歳で結婚したが、夫は海軍少尉として出征して戦死。戦後、医師の井手次郎さん(04年死去、享年87)と再婚し、病院の仕事に従事した。
華族となった徳川家の娘時代の体験や戦中から戦後にかけての人生をつづった自叙伝を十数年かけて完成。昨年6月13日の出版から18日後の7月1日に95歳で亡くなったが、お別れの会の祭壇には当時の天皇皇后両陛下をはじめ、皇族から贈られた花や供物が置かれた。久美子さんの姉が高松宮喜久子妃殿下だったからだ。
久美子さんの長男・純さん(68)が、四十九日を終えた8月下旬に宮内庁の元宮務官を介して皇居で記帳し、花と供物のお礼である賜物御礼(しぶつおんれい)の1つとして母の著書を皇族に送ったところ、美智子さまの言葉が電話で伝えられた。純さんは「女官の方から『皇后さまが本をお読みになられた』と伝えられました。美智子さまは『大変、懐かしく思いながら、楽しく読ませていただきました』と、おっしゃられたと。畏れ多いことです」と明かした。
純さんは「1月2日の一般参賀の後、皇太子妃時代の美智子さまは皇室のみなさんと高松宮家にお集まりになった時期があった。母にとって高松宮妃殿下は11歳上の姉であると共に母親のような存在。その場でお茶を出す役目をしていて美智子さまとも接していたようです。居間でご一緒に撮った写真も残っています」と説明。賜物御礼として書籍を送った皇室の中では唯一、美智子さまが「徳川おてんば姫」について感想の言葉を届けてくれたという。