名脚本家・荒井晴彦、18禁映画『火口のふたり』で現代ニッポンをぶっ壊す

石井 隼人 石井 隼人
映画『火口のふたり』脚本・監督の荒井晴彦(撮影:石井隼人)
映画『火口のふたり』脚本・監督の荒井晴彦(撮影:石井隼人)

にっかつロマンポルノを中心に数多くの傑作を残し、性愛を通して人間の赤裸々な姿を炙り出してきた名脚本家・荒井晴彦(72)。通算3本目となる映画監督作『火口のふたり』(8月23日公開)では、自衛官との結婚を控えた直子(瀧内公美)と無職バツイチの賢治(柄本佑)が、結婚式までの数日間にただひたすらお互いの肉体を貪り合う様を描いた。劇場公開レイティングはR-18。世間が好む“品行方正”とは真逆の作風。そこには全共闘世代・荒井監督の現代ニッポンに対する怒りが込められている。

原作は直木賞作家・白石一文氏が2012年に発表した同名小説。3.11の経験を経て執筆されたという経緯がある。荒井監督は「震災以降、日本では様々な自然災害があり、これからの日本はどうなるのか?という気持ちがあった。そんな中で原作小説を読んで、これは現実にありそうだぞと、こう来たか、面白いなと思った」と琴線に触れた運命的出会いを振り返る。

獣のように体を求め合う2人の背後に、日本列島を揺るがす有事が忍び寄る。にもかかわらず、2人はすべての現実から目をそらして快楽に溺れることを選択する。劇中の登場人物は柄本と瀧内の2人だけ。映し出されるのは食欲、睡眠欲、性欲の反復という挑発的な作り。そしてクライマックスに訪れるカタストロフィ。それを前向きに受け入れるかのように流れるエンディング曲の「とっても気持ちいい」という歌詞。作品自体が“反骨精神”の具現化だ。

それは荒井監督の望むところで「俺たちの若い頃は何かあるたびに『政治が悪い!社会の責任だ!』と考えていた。その怒りが何かを変える原動力でもあったわけで。でも最近は『自己責任』という言葉で思考を停止させてしまう。自分の生活が苦しいのは自分のせいであって政治ではないと。そういう人たちが憲法を変えたがっている安倍政権を支持している。こんな国ならば、ぶっ壊れてもいいだろうという思いを込めた」とアナーキーな狙いを明かす。

エンターテインメント内で政治的発言をするとバッシングされるという風潮にも疑問を呈する。原作にはない荒井監督によるセリフに、その思いが仮託されている。それは賢治(柄本佑)が被災地について述べる言葉。ギョッとさせられるのと同時に、胸に突き刺さる感覚がある。「原発事故で日本の中に人が住めない場所ができてしまったという恐ろしい事実に対して、よく知らないふりをしてオリンピックができるなと思う。沖縄の問題にしてもそうだけれど、自分がそこに住んでいないとまるで他人事。日本人は戦争の被害は語るけど、加害については無かったことにしたがる。タレントが辺野古埋め立て反対と言うとバッシングされるけれど、安倍とメシを食ったり、写真撮ったりしても何も言われない。おかしな話だよ」と首をかしげる。

一方で、政治問題を扱った映画『新聞記者』(2019)が4億円を超えるヒットを記録している現状もある。「そういうネタでも客は入るんだから、過度な自主規制なんかしないでどんどん作ればいい。キラキラ映画ばかり作るから、まともな映画がなくなっていく。俺たちのような大人のプロに任せれば、いい作品ができる」と提言。ぶっ壊した後には創造しかない。『火口のふたり』の破壊の後にどんな道が切り開かれるのか。公開後の反響が気になるところだ。

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