ほぼ“放置”されていた石垣島の「畑犬」 保護され現在は大阪で「校長先生」に就任

岡部 充代 岡部 充代

 ジェロニモ君は推定8歳の男の子。沖縄・石垣島出身で、琉球犬の特徴である美しいトラ柄をしています(ラブラドールレトリーバーとのMIX犬)。大阪で犬の保護・譲渡活動を行う市民ボランティア「犬の合宿所in高槻」に引き取られ、現在は高槻市の本村さん(仮名)一家と穏やかに暮らすジェロニモ君を訪ねました。

  石垣島にある八重山保健所に保護されたとき、ジェロニモ君の首にはちぎれたナイロン紐がついていたそうです。自分で噛み切って逃げて来たのでしょうか。沖縄には「畑犬」と呼ばれる犬たちがいて、作物などが盗まれないよう番犬の役割をしています。ジェロニモ君も長い間、この「畑犬」としてビニール紐でつながれていたのです。

 ごはんや水をまともに与えてもらえず、つながれたまま自由に動くこともできず…という状態の畑犬も少なからずいて、ジェロニモ君も保護されたときは、後ろ足の筋肉が少なく、ヨタヨタとしか歩けなかったそうです。飼い主からはほぼ“放置”されていたため、見かねた人たちがごはんや水をあげていた、という事実を、本村さんはのちに現地のボランティアさんから聞きました。

 

 ジェロニモ君が本村家にやってきたのは、2015年3月のこと。もともと犬が好きで、マンションから戸建てに引っ越したのを機に、いつか犬を飼いたいと思っていた妻の裕美子さんが、ペットの里親募集サイトで写真を見たのがきっかけでした。

 「犬初心者ですし、飼うなら小型犬と思っていました。保護犬ということも意識はしていなかったのですが、ジェロを見たとき『この子だ!』って直感したんです」

  ジェロニモ君は体重約20キロの大きめの中型犬。しかも夫の幸史さんは、犬を飼うことに積極的ではありませんでした。それでも何とか説得し、「犬の合宿所in高槻」を訪ねると…第一印象は、夫婦そろって「デカッ!」。唯一「かわいい」と思ったのは娘の美咲さんでした。初心者には飼うのが難しいかもしれないと、保護主さんには預かりボランティアから始めることを打診されましたが、話し合いの結果、里親になることを前提としたトライアルを選択。半月後に正式譲渡となりました。

 裕美子さんが最初にジェロニモ君の写真を見たのは、15年1月。実際に会うまで2カ月を要したのは、1月の譲渡会には行けず、2月に足を運んだときには、里親候補が見つかりトライアル中のジェロニモ君は参加していなかったからです。そのまま「縁がなかった」となっても不思議ではありませんが、決まりかけていたご家族が事情によりキャンセルしたため、3月に里親を再募集。「赤い糸」に導かれて、ジェロニモ君は本村家にやって来たのでした。

 

 家に来て間もない頃、白色の軽トラックを見たジェロニモ君が、荷台に飛び乗ろうとしたことがあったそうです。「島にいたとき、元飼い主が似た車で畑に来ていたのではないでしょうか」と裕美子さん。もしそうなら、ごはんさえまともにくれなかった飼い主でも、いえ、だからこそ、たまに来てくれると「ごはんがもらえる!」と思ってうれしかったのかもしれません。

 「元飼い主からの暴力などはなかったようですが、単なる道具としてしか見ていなかったんでしょうね。無関心というか、それこそナイロン紐程度の絆。でも、ジェロにとってはそれが世界のすべてだったと思うと、やりきれません」

  裕美子さんはそう話しましたが、今、ジェロニモ君の世界は大きく広がっています。「何も手伝わない」と宣言していた幸史さんも進んで世話をするようになり、家族旅行は「ペット同宿OK」が条件。17年夏にはジェロニモ君の故郷である石垣島へも行きました。現地のボランティアさんたちには感謝を伝えられたと言います。

 

 ジェロニモ君がきっかけとなり、「預かりボランティア」を始めた本村家。これまでに15頭の犬たちを預かり、大切にお世話してきました。島では他の犬とのかかわりがほとんどなく、大阪に来てからも犬を見ると吠えていたジェロニモ君ですが、今では代わる代わるやってくる犬たちの「先生」として、人間社会での生活を教えてあげているのだとか。

「どんな犬が来ても、静かに受け入れてくれています。保護犬たちの頼れる兄貴分ですよ」(裕美子さん)

  ジェロニモ君の肩書は“デカワンスクール校長”だそうです。

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