険しい山道を登りながら、気力体力が限界近くになった夜明け前、巨大な岩の壁が行く手をはばむ。鐘掛岩(かねかけいわ)という行場だ。命綱なしで10数メートルはあろう岩の壁を鎖で這い上がる。落ちたら命の保証はない。恐怖と戦いながら、やっとの思いで登り切り、しばらく歩いたら、今度は大峯山修行の代名詞「西ノ覗(にしののぞき)」の行場が現れる。
「修行は他人に強要されてするものではなく、自ら進んでするもの。やりたくなければやらなくていい。万一のことが起こっても自己責任」
そんなニュアンスの貼り紙が、通り過ぎた小屋や休憩所にあったのをいくつも目にした。
西ノ覗の巨岩の上に立つと、眼下に広がる大峯の山々が望み、その高さと何人もの行者を飲み込んだと思われる谷の深さに足がすくみ動けなくなる。「高所恐怖症の私には2万%無理な修行だ」と思いつつも、西ノ覗をせずに大峯山修行したとは言えない、相反する感情があった。
「一生一度の山修行」と自分に言い聞かせて、躊躇しないようトップバッターで崖からの逆さ吊りに挑んだ。人生最大の恐怖と対峙しながら、なぜかこんなことを思った。「生きて戻れたら一生懸命生きよう」「誰に対しても優しくしよう」「親孝行しよう」。
その後、山頂付近の大峯山寺に到着。梅雨にも関わらず、この日は幸運にも晴れ渡り、見事な朝焼け、雲海を拝むことができ、自然の神秘、大峯山の霊力、雄大さを体感した。さらに幸運なことに、今シーズンに限り大峯山寺本堂では本尊の蔵王権現像が開帳されていた。普段はとばりに覆われ決して目にすることができない秘仏。天皇陛下が皇太子時代に大峯登山をされたことに敬意を表してのことだという。
苦行を共にしたことで参加者たちに連帯感が生まれていた。私も何人かと言葉を交わし、親しくなった人もいたが、身の上話をすることはなく、連絡先の交換は誰ともしなかった。それがかえって良かったのか、一期一会の精神で、穏やかに相手を敬い接することができた。
水行後の精進料理、行明けの魚料理も美味しかったが、山頂付近の宿坊で食べた、旅館の人が用意してくれたおにぎりの朝食は涙が出るほど美味しかった。疲労を癒し回復させてくれる塩味と、生きて米を頬張れることに感謝の気持ちしかなかった。
修行の最中は、疲労そして恐怖と必死で戦っていたが、修行が終わった後、私は何とも言えない幸福感に包まれていた。苦難を乗り越えた達成感や充実感とはまるで違う。修行を乗り切ったことを誇示する気持ちは微塵もない。感謝、感謝しかない。この心境のメカニズムは、私には分からないが、千年以上に渡って大峯山修行が廃れない訳を自分なりに解釈できた。そして、母性を持つ女性を禁じ、血気盛んな男性のみ受け入れる理由が何となく分かった気がする。
▼令和元年の今年、この「山伏修行一日入門」は、あと8月25、26日と9月7、8日の2回開催される。詳しくは、下記の洞川温泉観光協会のホームページを参照。