国立競技場を一周するように12台ほどのカメラが設置された。一方、山口さんはグラウンド内に配置された5mほどの高さのやぐらの上から、脚立で固定されたカメラで撮影することに。競技中は助手の立ち入りも許されず、撮影からフィルム交換まですべて一人。会場が楕円形のため、リレーのようにグラウンドを一周する競技は正確なピント送りと、水平を維持したパン撮影の技術が求められた。
「リレーの場合はピント調節をしつつ、水平を保って何周もグルグルと回らないといけない。カメラ位置的に姿勢もずっと中腰。ファインダーから目を離すと後ろから光線が入ってフィルムに焼き付いてしまうので、片目も密着させたまま。自分で撮影しながら『これは誰もやりたがらないはずだ』と思い知りました」と苦笑い。バトンを交換する瞬間も取り逃がしてはいけない場面で「アップで追っていたりすると、誰が次の走者なのか混乱してしまうときもあった」と苦労を滲ませる。
撮影のために4時間ほどやぐらの上に滞在したこともあり「自分でも出ないとわかっているのに、やぐらに上がる前に何度もトイレにこもった」と思い出し笑い。競技が始まれば撮影に集中できるが「競技が始まるのを待っている時間が一番の緊張。観客もやることがないので、双眼鏡で僕のことを観察する。約5万人もの人に注視されるのは気持ちのいいものではありません。自分の足がガタガタ震えていたのを今でも思い出します」と冷や汗ものだ。
結局、途中で交代してくれるカメラマンもおらず、山口さんは10日間やぐらの上で撮影を行った。「プレッシャーは凄かったですね。家に帰って布団に入っても次の日の撮影が心配で眠れず。眠っても夢で見るのは失敗する場面。あの緊張感は本当に嫌でした」。だが山口さんが撮影した数々のシーンは、市川崑監督をはじめ、口うるさいベテランカメラマン勢を黙らせた。
ベストシーンは、女子800mの決勝。イギリス人アン・パッカー選手が1位でゴールに駆け込み、イギリス陸上代表であり婚約者のロビー・ブライトウェル選手に抱きつく場面。すべてを鮮明にワンカットで捉えた。「ベテランカメラマンたちがピンボケしている中で、私の撮影だけが上手くいった。脚本家として参加していた谷川俊太郎さんが、ワンカットで残すべきと市川監督に進言してくれたおかげで、『東京オリンピック』内での一番長いシーンになった。あれは私にとっての勲章です」と嬉しそうだ。
55年経った現在も、一つ一つの出来事や心境を詳細に記憶している。山口さんはいう。「国立競技場のグラウンド内で撮影した経験は、私の人生で一番の思い出。デジタルではなく、フィルムという簡単ではない時代に撮影できたのもカメラマンとしての誇り」。2020年東京オリンピックも、記憶と記録に残るドラマが様々な場所で生まれるのだろう。