ではなぜ、西郷隆盛の銅像が上野にあるのか?出身地の薩摩、鹿児島県なら分かるのだが…。実は、上野も西郷にとって“ゆかりの地”であったという。
勝海舟との「江戸無血開城」の会談後、それに反対する徳川家の家臣たちが結成した「彰義隊」が、上野にあった徳川家の菩提寺「寛永寺」に立てこもり、一戦を交えた。その際、新政府軍側の西郷が攻め込んだ場所が上野公園だった。今でも西郷の銅像のすぐそばに、「彰義隊」の墓碑がある。
この銅像を見た西郷の妻・お糸さんが「うちの人はこんな人じゃない」と言ったとされるように、上野の西郷さんは本物にはあまり似てないようだ。誰をモデルに造ったのか?これもまた謎の一つだろう。NHK大河ドラマ『西郷どん』で、その結論を出してもらえるとうれしいのだが…。