関西にジョン・ウーを呼んだ男 映画「マンハント」大阪中心にロケ、伝わった熱意

入谷 晴美 入谷 晴美
ジョン・ウー監督(左)と福原さん
ジョン・ウー監督(左)と福原さん

 映画「男たちの挽歌」「レッドクリフ」シリーズなどのヒット作で知られる名匠、ジョン・ウー監督(71)がオール日本ロケで「マンハント」を製作。故高倉健さん主演「君よ憤怒の河を渉れ」(1976年)のリメークで福山雅治、中国人俳優、チャン・ハンユーのW主演でも話題を呼んでいる。ロケは大阪を中心に行われ、その立役者となったのが近鉄ロケーションサービスの福原稔浩(としひろ)さん(61)だ。“関西にジョン・ウーを呼んだ男”の異名を持つようになった福原さんに迫った。

 ロケーション・ハンティングのため日本を訪れていた監督と撮影関係者が2015年6月、来阪。関西でのロケハンを任された福原さんは大阪、三重、奈良など関西各地を案内して回った。

 「監督はその後北九州、福岡へロケハンに向かいましたが、どうしても関西で撮影してほしくて『関西で一緒に仕事ができるのをお待ちしています』といった内容の手紙を書きました」。手紙は日本語で書いたものを中国語に訳してもらった。

 福原さんの熱意が通じたのか、ロケ地は関西に決定。日本一高いビルのあべのハルカスや、近鉄上本町駅、旧生駒トンネルなどで行われた撮影に同行し英語、日本語、広東語、北京語が飛び交う現場でサポートした。

 大阪滞在中は、監督の人柄に触れることも度々あった。定宿のホテルのバーで一緒にお酒を飲んでいたとき、監督に「日本人はいつもこういうところで飲んでいるのか」と聞かれ、「こんな高級なところはいつも来れない」と答えると、「じゃあ、いつも飲んでいるところへ連れて行け」。すぐにタクシーを呼び市内の居酒屋へ。「監督の目がキラリと輝いて(笑)実に楽しそうに飲まれていました」。

 その後も大阪市内有数の繁華街・心斎橋のおでん屋、鶴橋などで杯を重ねた。「現場ではグッと集中しておられますが、日本酒好きでいつもゴキゲンで日本映画へのあこがれ、健さんへの思いなどを熱く語ってくれました。英語も中国語も堪能ではないので、すべて通訳を介してですが、聞き入った私は涙が出ました。私の中では監督はもう友人です」。

 福原さんは1975(昭和50)年、近畿日本鉄道に入社。1994(平成6)年からロケーションサービスの担当になった。多くの作品に携わり、大物監督らも絶大の信頼を寄せる。映画やドラマ、CMなどのロケ撮影に協力するロケーションオフィス(サービス)は自治体や民間を含め全国で誕生しているが、福原さんは草分け的存在と言る。自社(近鉄)にこだわらず、各地のロケーションサービスと連携しながら製作サイドのイメージに応えて場所を探し、使用許可の交渉など文字通り“縁の下の力持ち”となる。

 「ロケ誘致の経済効果を考えると、関西全体で協力しあう必要があります。香港や北京で公開され、ハルカスにも映画を観た人が来られているようです。関西の活性化につながっていけば」。映画「マンハント」には福山とチャン・ハンユーが、ボートで水上を疾走するシーンがある。当初は大阪市内の幹線道路・御堂筋をカーチェイスする予定だった。道路の許可は下りたが警備等に膨大な費用がかかることが判明。福原さんは監督に、大阪は八百八橋と言われる水都であり水上バスの観光がある、川と橋を使うのも面白いのでは、と提案した。

 「翌日には絵コンテが変わっていました。『カーチェイスはどこでもできる』と川でのチェイスになりました」。

 福山はこのシーンのために必要な免許を取り、ほとんどスタントなしで撮影に臨んだという。

 チャン・ハンユーが駅ホームを疾走する場面は近鉄・上本町駅でロケ。営業後の深夜、エキストラに近鉄社員、その家族までも総動員して緊迫のシーンを撮った。20数年のキャリアを誇る福原さんだが、「まさか世界のジョン・ウーと一緒に仕事ができるなんて。夢のようでした」と感慨深げだ。

 昨年11月、香港で行われたプレミアム上映に招待され自費で渡航した。監督や苦楽をともにしたスタッフらと再会を果たすと1泊だけで帰国。2月9日の日本公開を心待ちにしながら、次のプロジェクトに奔走している。(デイリースポーツ特約記者・入谷晴美)

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