大阪市からの内容修正指示を拒否したためお蔵入りとなり、関係者の間では長く“幻の映画”とされてきた太田信吾監督初の長編劇映画「解放区」が、5年間の沈黙を破り、10月17日の京都国際映画祭を皮切りに、ついに一般公開される。
同作は大阪での映像制作者の支援と映像文化の発信を目的とするプロジェクト「シネアスト・オーガニゼーション大阪(CO2)」で、市の助成金を得られる企画に選ばれて制作がスタート。2014年当時は大阪アジアン映画祭での上映を目指していたが、物語の舞台となっている大阪・西成の釜ヶ崎(あいりん地区)を巡る描写などを市が問題視。太田監督が修正指示を拒否して助成金を返還したことで、社会的な関心を集めた。
折しも市は、同地区の再開発を中心とする「西成特区構想」を進めており、街の象徴的存在でもある「あいりん総合センター」は今年3月末に閉鎖。一方、先日閉幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」では、企画展「表現の不自由展・その後」を巡る文化庁の補助金不交付の決定が大きな問題に。今「解放区」が公開される意義は何か。太田監督に聞いた。
「解放区」は、ドキュメンタリー作家になることを夢見る青年(太田監督)が、過去に取材した少年を探して西成に流れ着き、次第に街の暗部へと迷い込んでいく物語。現実とフィクションとの境界を危うく行き来するスリリングな演出で、再開発によって失われつつある街と人の姿を生々しく焼きつけている。
―まず、映画の舞台を西成にした理由から教えてください。
「大学の卒業制作で、自分が引きこもりから脱却していく過程を描いた『卒業』というセルフドキュメンタリーを作りました。その上映会の会場のひとつが西成だったんです。それで2010年に初めて大阪に来て、すごい街だと衝撃を受けて、いつかここで映画を撮りたいなと思っていました」
―「すごい街」というのは具体的にどういうことですか?
「パブリック(公共)空間がすごく充実しているところですかね」
―公園とか、そういう場所のこと?
「公園や教会なんかももちろんそうですけど、やっぱり路上ですね。座って酒を飲んでいたりとか。路上でいろんなことが発展している感じ。路上で他者同士が出会って楽しむ、西成のそういう気質がいいなあと思いました。面白いものを作ろうと思ったときに、やりやすい空気がある。上映会のお客さんの中に、元日雇い労働者のおっちゃんみたいな人がいて、街を案内してくれたり、歴史を教えてくれたりもしたんです。すごく風通しがいい所だなと感じました」
―飛田新地の中や、覚醒剤の売人とのやり取りなど、ドキュメンタリー映像というか、実際に起きている出来事を覗き見ているようなリアリティがあります。
「ドキュメンタリー的に撮ったものをフィクションに組み込んでいる部分がたくさんあります。三角公園の釜ヶ崎越冬まつりのシーンもそう。俳優の演技に関しても、演技というよりは、西成で実際に暮らす中でリアルなものが見えてくる…そんな撮り方をしています」
「例えば日雇いで解体現場に行くシーンは、実際にあそこで働いている様子を1日中カメラを回しっ放しにして撮りました。釘を踏んで怪我をしたのも、リアルに体験したこと。お金をもらうときに、『領収書は金額書かんでええ』と言われるのも、まあ多分“抜かれる”って意味だと思うんですけど、実際に見聞きしたこと。そういう驚きや発見を編集で映像に残していった感じですね」
―じゃあ結構長いこと西成にいたんですか?
「ロケとしては1カ月です。でも僕とメインのスタッフは、その前の企画段階から西成に通い、リサーチしたり脚本を書いたりしていました」
「ロケの間は全員で合宿。喫茶店の2階を間借りして、15畳くらいの部屋に男女15人が雑魚寝で1カ月過ごしました。風呂もひとつしかないので、結構大変な状況でしたね」