長州力と福島へ…放射能の「見えない恐怖」を体感

【平成物語1】

北村 泰介 北村 泰介
11年6月5日、長州力は福島第1原発から20キロの警戒区域の限界ギリギリに立っていた(撮影・北村泰介)
11年6月5日、長州力は福島第1原発から20キロの警戒区域の限界ギリギリに立っていた(撮影・北村泰介)

 激動の時代「平成」がカウントダウンに入った。30年間に起きた事件、出来事をデイリースポーツ記者が独自の視点で描いていく。第1回は平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災。プロレスラー・長州力(67)と共に福島県の被災地に入った記者が当時の様子を再現する。

「40歳を過ぎたら放射能は関係ないから」

 その時、車内のガイガーカウンターが警告音を発した。窓を閉め切っていても、針は危険な数値を示す赤いラインを超えて激しく揺れた。飯館村に入った時のことだ。福島第1原発事故によって土壌から放射性物質が検出され、6月までに約6000人の村民の9割が福島市に避難。村内は閑散としていた。

 11年6月5日朝、記者は郡山市で長州と合流。所属事務所社長の谷口正人氏が運転する車に同乗し、相馬市の避難所に向かう道中で飯館村を通過したのだ。助手席の長州は「40歳を過ぎたら放射能は関係ないから」。根拠はともかく、その言葉で重い空気が軽くなった。

 相馬市では豚汁を提供し、トイレットペーパーや菓子を配布。「地震があっても悪いことばかりじゃないわね」。谷口氏は女性の一言に救われたという。

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