長州力と福島へ…放射能の「見えない恐怖」を体感

【平成物語1】

北村 泰介 北村 泰介
11年6月5日、長州力は福島第1原発から20キロの警戒区域の限界ギリギリに立っていた(撮影・北村泰介)
11年6月5日、長州力は福島第1原発から20キロの警戒区域の限界ギリギリに立っていた(撮影・北村泰介)

 さらに原発から20~30キロ圏内にある南相馬市の避難所(中学校)に移動。因縁の大仁田厚と“ガチ遭遇”した。「議員バッジ、また付けようってんじゃないだろうな!!」と長州。大仁田は「そんな、コソクなマネはしませんよ!!」と応酬した。

 帰路、原発から20キロの警戒区域の境界線で車を降りた。「立入禁止」の看板前に大阪ナンバーの警察車両が止まっており、Tシャツと短パンの長州にそのラインをまたいでもらって写真を撮った。住民の姿はない。近くに一軒あるコンビニは午後3時閉店だった。

 どんよりした空の下、風に含まれているかもしれない放射能への不安がつのる。見えない恐怖。神社の鳥居の下には放射能標識があった。長州は「SF映画みたいな現実」とうなる。立入禁止区域にも迷い込んだ。パトカーに誘導されて引き返し、福島を後にした。

 車内では長州が好きなボブ・マーリーのベスト盤が流れていた。代表曲「エクソダス」のテーマ“脱出”を福島に重ね、残る人への後ろめたさを感じた。長州は「福島が取り残されている」と漏らした。記者は6月24日に再び南相馬市での炊き出しに参加。田んぼには津波で流された船がまだ転がっていた。

 あれから8年-。長州は「復興をアピールした東京五輪が来年開催される。素晴らしいことだが、原発の問題など、完全な復興はなされていない。被災地を忘れないで欲しい」と訴えた。平成が終わっても、震災の爪痕が消えることはない。

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