ようやく、自分の人生を言語化できるようになった――。そう語り、壮絶な生い立ちを打ち明けてくれたのは、マナさん(仮名)。マナさんは幼少期から実の兄による性的虐待を受けており、20代の頃には母が自死。
深い喪失感や絶望を抱えてきたマナさんはどのように過去を受け入れ、今を生きているのか。当時、ほしかった支援なども含め、詳しい話を伺った。
「自分が悪いと思った」幼少期に始まった兄からの性的虐待
マナさんは7〜8歳頃から、兄に体を触られるなどの性的虐待を受けるようになった。小3の頃には、寝ている間にズボンを下ろされ、盗撮されたこともある。
「一度、違和感を覚えて、盗撮されている最中に目を覚ましたことがありました。でも、怖くて声が出せなくて…」
性的虐待の被害者は「自分が悪かったのではないか」と思う傾向にある。マナさんも自分を責め、「私が我慢すればいい」と思っていたが、中学生の頃、「自分が受けてきたことはおかしい」と気づく。だが、大好きな母を苦しめることになると思い、打ち明けられなかった。
「父とは関係性が希薄だったので、打ち明けようとは思えませんでした。母が生きていた頃の私は、母のために生きていました。それくらい大切な存在だったんです」
マナさんが高校生になった頃、思わぬ不幸が家族を襲う。母が、がんになったのだ。手術で腫瘍を摘出したが、やがて転移。2〜3年ほど抗がん剤治療を受けるも、緩和ケアに移行することとなった。
がんになる前は、バイタリティ溢れる人だった母。少しずつ余裕がなくなっていく姿を見るのは苦しかった。
最愛の母が自死…守るものがなくなって兄の性的虐待を父に告白
緩和ケアに入って1週間ほど経った頃、母は自室のドアで首を吊り、自死した。発見したのは父親。当時、20代前半だったマナさんは起床後、父からのLINEで母の死を知った。
「振り返れば、自死のサインだと思えるものはあったのに…。大好きだったのに母のことを理解できていなかったと、今でも自分を責めることがあります」
母の自死は心に深い傷を残し、マナさんはうつ病を発症。自分の心と向き合う時間が増えた。その中で考えるようになったのが、自身の男性恐怖症に対する疑問だった。
当時、すでに兄は家を出ており、性的虐待はなくなっていた。だが、マナさんは自分に好意を寄せる男性から手を触られた際、強い恐怖を抱いたのだ。また、誰かを好きになると自分自身への嫌悪が募った。
どうして、こんな気持ちになるのだろう。そう思い、友人に相談しながら自身の感情と向き合った結果、兄からの性的虐待が苦しみの根源だと気づいた。最愛の母がいない今、守りたいものなど何もない。そう感じ、母が亡くなった翌年、兄からの性的虐待を父に打ち明けた。
「父は『こんな大変な時期に、また大変なことを……』と言い、ひとまず兄と話すと言いました」
ところが、父を介して告げられた兄の返答は「もう、昔のことだと思ってる。許してくれないか?」という絶望的な言葉であり、父からのフォローも一切なかった。
こんな家にいたくない。絶望や怒りを感じたマナさんは、年内に女性限定のシェアハウスへ引越し、新生活をスタートさせた。
当事者が願うのは「安全な相談窓口」と被害児向けのマニュアルの設置
家庭内での性的虐待は発見が難しい。当時、マナさんはどんな支援があれば、救いを求めることができたのだろうか。
「私と同じく、『親に知られたくない』と思う子は多いと思うから、親に話が伝わらないことが保証されている気持ちの吐き出し場所がほしかったです。あと、『自分を責めなくてもいい』などの具体的な対処法が書かれたマニュアルが子どもに届く環境作りも大切だと思います」
マナさんの場合は、うつ病になった時に話を聞いてくれた友人が、これまでの経緯を客観視しつつ、「なんで、あなただけがそんなに我慢をしなきゃいけないの!?」と愛ある怒りを伝えてくれたことが、虐待を受ける中で築かれた思考の歪みに気づくきっかけになった。
「性的被害を受けると、『自分が悪かった』と思いやすいけれど、それは違う。我慢は長い目で見ても自分のためにならないから、まずは話せる相手を見つけてほしいです」
そう話すマナさんは今、まさに身近な大人からの性的虐待に苦しんでいる人に向けて「自分を見失わないでほしい」と訴える。
「苦しみが分かる分、容易く生きてほしいなんて言えません。でも、私みたいに楽しいと思える未来が待っていることもある。みんなそれぞれの生き方の中で可能な限りもがき、自分を守る手段を見つけて、生き抜いてほしい」
また、最愛の存在を失い、絶望の中にいる人には「思いっきり感情を出してほしい」と話す。
「私は母が亡くなった後、大泣きしたし、友人に気持ちを聞いてもらいました。それが心のケアに繋がったと感じています」
かつて、母のために生きていたマナさんは今、自分のために生きている。
「母のために生きていた自分も否定したくない大事な自分ですし、自分がどうしたいかを考えながら生きている今の自分も同じくらい大切です」
受けた傷が完全に癒えたわけではなくても、能動的に今を楽しむマナさん。その姿は似た苦しみを抱える人の希望になると同時に、社会全体で取り組むべき家庭内虐待の深刻さを感じさせる。