30代の会社員・三島こころさん(仮名)は、幼少期から、シングルマザーである母親からの身体的・精神的な虐待やネグレクトを受けてきました。高校時代からアルバイトで稼いだ貯蓄と祖父母からの援助によって、大学進学を機に母親から離れました。その後、一度も実家へ帰ることはなく、今では遠い地域に住み、仕事や友人関係も順調に過ごしていました。
しかし半年ほど前、久しぶりに親族から連絡があり、母親が70歳を過ぎて体調を崩していると聞かされました。親族によると、母親は年金だけでは生活が厳しい状態で、今後は介護も必要になる可能性があるといいます。「親なのだから、お母さんの面倒を見るべきだ」「あなたが同居して介護するべきだ」と一方的に言われ、三島さんは困惑してしまいました。
「母とは長年会っていませんし、今後も関わりたくありません。法律上の親子関係を解消する方法はないのでしょうか」
三島さんは、居住地の市区町村の福祉相談窓口に問い合わせ、社会福祉士と面談をすることにしました。
虐待を受けて育った子どもでも、法律上の扶養義務を負うのでしょうか。また、親と法律上の関係を解消する方法はあるのでしょうか。
成人した子が親との法律上の親子関係を解消する制度はない
結論から言うと、成人した子が、自分の意思だけで実親との法律上の親子関係を解消する制度は、原則としてありません。
分籍(親の戸籍から抜けて新しい戸籍を作る手続き)、転籍(本籍地を変更する手続き)、改姓(結婚などによる姓の変更)、住所や連絡先の変更、長期間の絶縁などをしても、法律上の実親子関係は解消されません。そのため、法律上の親子関係から生じる扶養義務や相続に関する関係も、原則として残ります。
しかし、扶養義務があることと、同居や直接の介護をする義務があることは別の問題です。
扶養義務とは何か―同居や介護までは含まれない
民法877条で定められている親子間の扶養義務は、「経済的な援助をする義務」を指します。同居や身の回りの世話、直接の介護までを義務付けるものではありません。
また、親子間の扶養義務は「生活扶助義務」と呼ばれ、自分の生活に余裕がある範囲で援助する義務です。これは、配偶者や未成年の子に対する「生活保持義務」(自分の生活を犠牲にしてでも同じ生活水準を保障する義務)とは異なります。
つまり、扶養義務があるからといって、自分の生活が成り立たなくなるほどの経済的援助をする必要はありませんし、同居や直接の介護を強制されることもありません。
扶養義務の内容は当事者の事情によって判断される
親子間の扶養をめぐって当事者間の話し合いがまとまらない場合は、家庭裁判所の調停・審判で、双方の収入、資産、生活状況、家族構成、これまでの関係などを踏まえ、扶養の方法や程度が判断されます。
考慮される主な事情としては、
・扶養を求める側(親)の収入・資産・健康状態
・扶養する側(子)の収入・資産・家族構成・生活状況
・過去の親子関係(虐待やネグレクトの有無、経済的支援の有無など)
・他に扶養できる親族がいるか
などが挙げられます。
◇虐待を受けた場合の扱い
三島さんのように親から虐待やネグレクトを受けた場合、その事実は扶養義務の判断において重要な考慮要素となります。過去に親から適切な養育を受けられなかった、長年にわたり経済的な支援を受けられなかった、親との関わりが自身の精神的健康を著しく損なうといった事情がある場合、扶養義務が実質的に否定される、あるいは大幅に軽減される可能性があります。
ただし、事前に家庭裁判所に申し立てて「扶養義務の減免・免除」を受ける一般的な手続きがあるわけではありません。親族や行政から扶養を求められた際に話し合いがまとまらない場合に、家庭裁判所の調停・審判で個別に判断される仕組みです。
「虐待を受けた事実が考慮されるということを知り、少し気持ちが楽になりました。でも、親族からの連絡や行政からの問い合わせに、私は必ず対応しなければならないのでしょうか」と三島さんは疑問を持ちました。
親族からの連絡や行政からの問い合わせに、必ず応じる法的義務があるわけではありません。ただし、自分の意思や事情を適切に伝えるために、専門家に相談しながら対応することが大切です。
親の生活支援は公的制度の活用が基本
親の生活が困窮している場合や介護が必要な場合でも、必ずしも子が直接支援する必要はありません。公的な支援制度を活用することで、親の生活を支えることができます。
◇生活困窮者への公的支援
親の収入や資産が一定基準以下の場合、生活保護制度を利用できます。扶養義務者(子)がいる場合でも、扶養が困難な事情があれば生活保護は受給できます。親族からの扶養が生活保護受給の絶対条件ではありません。
生活保護の申請は親本人が行うものであり、子が代わりに申請する義務はありません。ただし、行政から扶養の可否について照会が来ることはあります。その際、扶養が困難な事情(虐待を受けた過去、経済的余裕がない、精神的負担が大きいなど)を伝えることで、扶養照会そのものを回避できるケースも増えてきています。
◇介護が必要な場合の支援
65歳以上(一定の条件下では40歳以上)で介護が必要と認定された人は、介護保険制度を利用して、訪問介護やデイサービス、施設入所などのサービスを受けることができます。介護保険のサービスは、子が直接介護をしなくても、専門の事業者が提供します。
◇成年後見制度について
親の判断能力が低下している場合(認知症など)、家庭裁判所に成年後見人の選任を申し立てることができます。弁護士や司法書士などの専門家が後見人に選任されれば、財産管理や介護サービスの契約などを後見人が行います。
ただし、成年後見制度は「判断能力が不十分な人を保護し、財産管理や契約などの事務を支援する」ための制度であり、介護そのものを後見人が引き受ける制度ではありません。また、申立てには一定の費用と手間がかかり、後見人の選任は家庭裁判所が判断するため、必ずしも希望通りにはならない点に注意が必要です。
親の死後に相続したくない場合は相続放棄を
親が亡くなった後、借金などの負債を引き継ぎたくない場合は、家庭裁判所で「相続放棄」の手続きを行うことができます。家庭裁判所に「相続放棄申述書」を提出しましょう。相続放棄は、相続の開始を知ったとき(親の死亡を知ったとき)から3カ月以内が期限となります。
注意点として、親の財産を処分する行為(預貯金の引き出しや使用、遺品の売却など)をすると、相続を認めたとみなされ、相続放棄ができなくなる場合があります(法定単純承認)。ただし、行為の内容によって判断が分かれるため、具体的な財産処理をする前に弁護士や司法書士へ相談することをおすすめします。
なお、相続放棄は親が死亡した後の手続きであり、存命中の親との接触、扶養義務、介護との関係をなくす制度ではありません。
親との関係に悩んだら専門家へ相談を
三島さんは、社会福祉士との面談を経て、扶養義務が絶対的なものではないこと、同居や直接の介護までは含まれないこと、虐待を受けた事実が考慮される可能性があることを知りました。「福祉相談窓口を通じて弁護士を紹介してもらったので、改めて自分の状況を相談してみます。母の生活については、母本人が福祉事務所に相談して生活保護の申請を検討するよう、親族に伝えてみます」と語りました。
親との関係に苦しんでいる人は、一人で抱え込まず、専門家に相談することが大切です。扶養義務の範囲や対応方法は、個々の事情によって大きく異なります。
弁護士(法テラスや自治体の無料法律相談)、行政の福祉窓口(福祉事務所、地域包括支援センター)などに相談することで、自分の生活を守りながら、法的に適切な対応を見つけることができます。
【出典】
・厚生労働省「生活保護制度」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/seikatuhogo/index.html
・厚生労働省「介護保険制度」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/gaiyo/index.html
・裁判所「成年後見制度」
https://www.courts.go.jp/saiban/syurui/syurui_kazi/kazi_06_17/index.html
・裁判所「相続の放棄の申述」
https://www.courts.go.jp/saiban/syurui/syurui_kazi/kazi_06_13/index.html
【監修】勝水健吾(かつみず・けんご)社会福祉士、産業カウンセラー、理学療法士 身体障がい者(HIV感染症)、精神障がい者(双極症Ⅱ型)、セクシャルマイノリティ(ゲイ)の当事者。現在はオンラインカウンセリングサービスを提供する「勇者の部屋」代表。