夫の暴力とモラハラに耐えかね、着の身着のまま家を飛び出したAさん。別居から半年後、ようやく離婚調停の申し立てに踏み切り新しい人生の光が見え始めた矢先、警察からの電話で、夫が交通事故で急死したことを知らされます。
恐怖の対象だった夫の死に、Aさんは正直なところホッとしました。これで全てが終わった――そう感じたAさんに弁護士は告げました。「離婚届が受理される前である以上、あなたには妻として夫の遺産の2分の1を相続する権利がある」と。
事態はそれだけでは終わりませんでした。夫が隠し持っていた多額の預金や不動産の存在が明らかになると、それまで沈黙していた夫の両親や兄弟が態度を豹変させます。Aさんのスマートフォンには、昼夜を問わず彼らからの着信が残り、「家を捨てた女に一銭もやるものか」と、代理人を通さずに直接圧力をかけてくるようになりました。
このように離婚成立直前で配偶者が亡くなった場合、相続はどうなるのでしょうか。北摂パートナーズ行政書士事務所の松尾武将さんに聞きました。
「別居中」でも配偶者の相続権は消滅しない
ー離婚届が受理される前に配偶者が亡くなれば、他方の配偶者は相続人になりますか?
法律婚が解消されていない以上、相続権は消滅しません。どれほど長期間別居していたとしても、あるいは離婚調停や裁判の真っ最中であったとしても、戸籍上の婚姻関係が解消される前に(離婚届が受理される前に)相手が亡くなれば、生存している配偶者は常に法定相続人となります。
近年の判例では、事実上の離婚状態にある夫が、死亡退職金を受け取る配偶者には該当しないという判断がなされたケースはあります。ただし、死亡退職金は相続財産には該当せず受給者固有の財産と解されていることから、相続財産に関しては離婚していない限り、相続人となります。
ー「夫婦関係は破綻していた」という事実は、相続権に影響しないのですか?
原則として、影響しません。一般的には「夫婦関係が破綻していれば、相続権もなくなるべきだ」との心情は理解できますが、相続の実務において、単なる不仲や別居、破綻の状態にあることだけを理由に、配偶者の相続分が減らされたり、権利を失ったりすることはありません。
ただし、例外として、配偶者が被相続人の命を奪ったり、詐欺や強迫によって遺言書を書かせたりした場合は「相続欠格」となり、権利がなくなります。また、生前に夫が家庭裁判所に申し立てを行い、妻の著しい非行などを理由に「廃除」が認められていれば相続権を失いますが、Aさんのような被害者のケースではこれらには該当しません。
ー夫の親族から「相続権を放棄しろ」と迫られた場合、応じる義務はありますか?
いいえ、応じる義務は一切ありません。夫の親族が「家を出た人間に権利はない」と激昂し、放棄を迫ってきたとしても、それはあくまで彼らの感情論であり、法的根拠はありません。相続放棄をするかどうかは、Aさん自身の意思で自由に決めることができます。
このケースのように、相手方が感情的になり当事者同士での話し合いが困難な場合は、無理に応対することは避け、例えば弁護士などを代理人に立てて、代理人を通じた交渉に切り替えることが、Aさんの精神的な平穏と正当な権利を守ることにつながるでしょう。
◆松尾武将(まつお・たけまさ)
行政書士 長崎県諫早市出身。大阪府茨木市にて開業。前職の信託銀行員時代に1000件以上の遺言・相続手続きを担当し、3000件以上の相談に携わる。2022年に北摂パートナーズ行政書士事務所を開所し、相続手続き、遺言支援、ペットの相続問題に携わるとともに、同じ道を目指す行政書士の指導にも尽力している。