NHK大河ドラマ「べらぼう」に、吉原の女郎屋「大黒屋」の女将「りつ」として出演している安達祐実。錚々たる忘八(遊女屋の主人)たちに伍して存在感を示し、その眉のないメイクが話題を呼んでいる。
さて、この「安達」という名字は、2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場していた安達盛長を祖とするものが多い。盛長は藤原北家の武士藤原山蔭の子孫といわれ、「安達」は陸奥国安達郡(現在の福島県)に因むという。
そういう意味では「安達」の由来ははっきりしているのだが、肝心の盛長の出自がよくわからない。
信憑性の高い系図集『尊卑分脈』には、三河国宝飯郡小野田(現在の愛知県豊橋市賀茂町)の出の小野田三郎兼広が陸奥国安達郡に住み、その子盛長が安達氏を称したとあるが、これは系図に書いてあるというだけで、はっきりしない。
一方、盛長は当時武蔵国足立郡の有力武家だった足立遠元の縁戚にあたり、名字を名乗る際に「足立」から漢字を変えて「安達」にしたという説もある。
とはいいながら、その妻は源頼朝の乳母比企尼の長女、丹後内侍(たんごのないし)であった。丹後内侍は頼朝との間に子をなしたという説もあるなど頼朝と極めて近い女性で、その縁で盛長も頼朝に仕えたとみられる。
鎌倉幕府成立後は上野国守護となり、後に13人の合議制の一人にも登用されるなど、頼朝とは極めて近い関係にある人物だったことは間違いない。
盛長没後も安達一族は鎌倉幕府の要職を歴任し、子孫は秋田城介や評定衆、引付衆に列するなど幕府の重鎮となっている。元寇に対処した名執権北条時頼も盛長の曾孫にあたるなど、鎌倉幕府を代表する名家であった。
そのため鎌倉幕府滅亡の際には、安達一族は北条氏一門とともに東勝寺で自害して滅亡、以後活躍することはなかった。
それでも、安達一族は全国に広がり、現在「安達」は四国と沖縄を除いて各地に広く分布している。その中では比較的山形県と島根県に多い。