ユーハイム、社名の由来はドイツ人の菓子職人 看板商品バウムクーヘンに流れる創業者のマインド「純正自然なお菓子を作る」

クラブTVO編集部 クラブTVO編集部

神戸に本店を構える菓子メーカー「ユーハイム」。100年以上バウムクーヘンを売り続ける、関西では言わずと知れた老舗です。年間販売数はホールサイズにして約850万個。今回は、「ユーハイム」の創業者でありバウムクーヘンを日本に広めたドイツ人夫婦の感動物語に迫ります。さらに、驚異の年間258億円(2022年)を売り上げる驚きの経営戦略も大公開します。

バウムクーヘンの本家本元と人気の「ユーハイム」。誰もが知る会社を率いるのは、今回お話をうかがった4代目社長・河本英雄さんです。

社名の由来はドイツの菓子職人

「ユーハイム」という社名は、ドイツ人の創業者・カール・ユーハイムさんに由来します。

1915年、第一次世界大戦で捕虜として日本に連行されてきたカールさん。4年後、広島で開催されたドイツ人捕虜による展示即売会に参加。ここで菓子職人のカールさんがドイツの伝統菓子であるバウムクーヘンを出品すると、これが人々の心をつかみ大好評となります。

ドイツのお菓子が日本人に受け入れられると確信したカールさん。捕虜生活が終わった後も日本に残ることを選び、1923年、神戸に「ユーハイム」をオープンさせます。

その結果、初日から大繁盛!連日徹夜でお菓子作りに勤しむほど、熱狂的に迎え入れられました。

順調な日々を送っていましたが、第二次世界大戦中に病を患い、終戦の前日にこの世を去ってしまいます。

遺志を継いだのが妻のエリーゼさんでした。

「彼が残したお菓子を絶対に守り続ける」と決意し、できあがりや不始末などに厳しく目を光らせます。その甲斐もあり、ユーハイムは戦後期の苦しい時期を乗り切ったのです。

高度経済成長期に経営不振…支援を求めたのは“取引先の社長”

しかし、1958年、神戸の工場が火災で焼失。百貨店の隆盛や洋菓子店の増加などで競合他社も増えたことで、「ユーハイム」に経営危機が訪れます。

エリーゼさんはある人物に助けを求めます。その人とは現社長の祖父である河本春男さん。ユーハイムにバターを卸していた取引先の社長でした。

なぜ春男さんに助けを求めたのでしょうか?実は2人には「サッカー好き」という共通点がありました。

エリーゼさんの夫・カールさんはサッカー選手だったそうです。そして元々教職の仕事に就いており、サッカーの指導をしていた春男さん。彼らは一緒にサッカーを観に行っていろんな話をしていたのだそうです。

教育者・指導者としての春男さんの能力を感じたエリーゼさんが助けを求めたのでは、4代目社長は話します。

春男さんは申し出を断るつもりでしたが、エリーゼさんの熱意に押され、「ユーハイム」の経営に参入することを決意しました。

1962年に52歳で専務取締役として入社後、高齢のエリーゼに変わり経営の舵を取ることになった春男さんは生産性の向上に取り組みます。特に効率を重視することで量産体制を築いた結果、会社の経営はわずか1年で黒字に転換。さらに、バウムクーヘンでなくビスケットなどのお菓子で売り上げを伸ばし、企業として大きな成長を遂げます。

社長激怒の事件発生!原点に立ち返るきっかけに

1969年、工場の視察に訪れた社長のエリーゼさんは激怒します。会社の経営は順調なのになぜ?

その理由にあったのは、ドイツにおけるバウムクーヘンの定義「自然な材料を使って作ること」。当時の「ユーハイム」はバウムクーヘンのみ自然な材料で作っていましたが、その他のお菓子については生産効率を考え食品添加物を加えていました。その工程を見て、エリーゼさんは激怒したのです。

彼女の思いを汲み取り、春男さんはこれまで生産性や効率を重視していた経営を見直すことを決意。「純正自然なお菓子を作る」ことを目標に掲げます。しかし、その方針に、社内からは反対の声が上がります。その当時、食品添加物は使って当然のものと考えられていたのです。

それでも春男さんは気持ちを曲げませんでした。その思いは息子の武さんにも受け継がれ、徐々に自然な材料に移行していきます。

4代目社長・英雄さんは「『食品添加物を使わずお菓子を作ることは実は非常に難しいけれど、それに挑むことで技術を磨き、その技術がお菓子を美味しくしていく』という考えが、会社には昔から存在している」と話します。

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