兵庫県芦屋市に本店を構える洋菓子店「アンリ・シャルパンティエ」。看板商品のフィナンシェは年間3300万個を販売し、そのペースは1.1秒に1個という大ヒット作。さらに、フィナンシェは元はフランス生まれなのにも関わらず、日本の同店のものが世界一売れているとして8年連続でギネス世界記録に認定されるという快挙まで果たしました。
フランス生まれのフィナンシェを独自にアップデート
実は、日本人がフィナンシェと聞いて思い浮かぶ、ふわふわでこんがり盛り上がった形はアンリ・シャルパンティエが生み出したもの。本場フランスのフィナンシェは贈答用というよりも近所のパン屋さんで気軽に買う庶民的なお菓子。形も平べったく食感も硬いのですが、ふわふわのスポンジが好きな日本人の味覚を考慮し、独自に進化させたのでした。
お話しをうかがったのは、西宮に本社を構える「シュゼット・ホールディングス」の現社長、蟻田剛毅さん。看板商品となったフィナンシェを作った創業者の父、そして入社した時に直面していた倒産危機から再生に導いた息子の親子物語に迫ります。
「時代を先取りしすぎた」名店のスタート 窮地を救ったのは創業者の“恋人”⁉
「アンリ・シャルパンティエ」の始まりは、蟻田尚邦さんが1969年に阪神芦屋駅前に開業した喫茶店でした。
創業のきっかけは、尚邦さんがフランス料理店で修行していた時に一目惚れした「クレープシュゼット」という高級スイーツでした。これでお客さんを喜ばせたいと、考案者である「アンリ・シャルパンティエ」をそのまま店名にするほどのめり込んだこのスイーツを看板メニューに据え、喫茶店をスタートさせますが…。
待っていたのは、いきなり客が入らないという苦難。当時の喫茶店のイメージは「営業マンが時間つぶしに訪ねる場所」。女性がゆっくりとおしゃべりしながら過ごす文化はまだ定着していませんでした。
加えて、食文化が今ほど豊かでなかった時代、「食べるを楽しむ」という店のコンセプトは集客につながりませんでした。アンリ・シャルパンティエは時代を先取りしすぎていたのです。
このままやったらあと何カ月もつか...そんな尚邦さんの窮地を救ったのは、後に妻となるマサミさんでした。
彼女は商品の味にアドバイスするだけでなく、知名度を上げるために無料でケーキを配ります。さらにはベッドタウンである土地の特性から、夜帰ってくる客に来店してもらえるよう、それまで7時か8時に閉めていた店を夜遅くまで延ばすといった、リサーチを活かした提案を行います。
この作戦は見事に成功。アンリ・シャルパンティエは次第に芦屋で浸透していき、人気店への階段を登り始めたのです。
百貨店出店のチャンスを辞退⁉その理由は…「品質の担保」
オープンから5年が経ったころ、思わぬ出来事が起こります。百貨店から突然、出店依頼を受けるのです。
誰もが憧れるはずの百貨店への出店。しかし尚邦さんはその話を断ります。
その理由は、ケーキの品質を保つためでした。
当時、クリームを作る時にはバターが使っている場合が多く、それは多少固くて形が保ちやすく、日持ちもしたのですが、アンリ・シャルパンティエで作っていたのは生クリームを使ったフレッシュケーキ。その繊細さから、出荷時に崩れてしまう恐れがありました。
交渉は決裂かと思われた矢先、百貨店担当者から「店の横にキッチンを作る」とまさかの提案がありました。
「どうしてもアンリ・シャルパンティエに出店してほしい」。その熱意が尚邦さんに伝わり、出店が実現することになります。
生ケーキが百貨店に並ぶなどほとんどない時代、尚邦さんのケーキは連日行列ができるほど大好評!そして、この出店こそが、看板商品誕生のきっかけになるのです。
庶民のお菓子から高級贈答品へ!看板商品・フィナンシェ誕生秘話
生ケーキだけでなく、長持ちする贈答用商品を考える中、尚邦はフランスのお菓子「フィナンシェ」に着目します。しかし、本国ではあくまでパン屋で売られている庶民的なおやつという扱いでした。
贈答用には向かないかと思ったところ、ここでターニングポイントが! 庶民的なおやつ菓子をケーキ職人が一流の材料を使って本気で作れば、贈答用としては最高のものになると考えたのです。
こうして生まれたのが、アンリ・シャルパンティエ独自のフィナンシェ。訪れたフランスやヨーロッパの人に、美味しいと言わせるも、フィナンシェにこんなにいい材料を使うのかと驚かれていたのですが、今では逆にフランスの有名店などで同様のフィナンシェが出されたりと、日本のレシピがヨーロッパに輸出され、トレンドとなるほどの成長を遂げています。