「就職氷河期世代をなかったものにしないで」48歳女性の叫び 結婚も子どもも諦めた暮らし「せめて低賃金の補償を」衆院選に託す思い

浅井 佳穂 浅井 佳穂

 「就職氷河期世代をなかったものにするのは許せません。氷河期世代の処遇についてきちんと議論していただきたい」。京都新聞社の双方向型報道「読者に応える」のLINEで衆院選立候補者に議論してほしい課題を聞いたところ、京都市南区の48歳女性から氷河期世代の苦しみを訴える書き込みがあった。女性のこれまでと社会への思いを聞いた。

「就職先を全員に紹介できない」

 高校3年生の夏だった。「就職先を全員に紹介できない」。通っていた商業高校で教師が告げた。今思うと、就職氷河期の始まりだった。

 女性は以前からのスーパーのアルバイトを続けることにした。景気は良くならないままだった。「5年たつと正社員登用のチャンスがある」はずだったが、いつの間にか正社員登用試験はなくなった。女性はスーパーを辞めた。

 京都市内の企業で正社員として経理の仕事を得た。サービス残業は当たり前。加えて経営者のワンマンさが目についた。私用を言いつけられることも日常だった。

 1990年以降、地価や株価は急落。やがて1997年には北海道拓殖銀行や山一証券が破綻した。日本はデフレ経済の時代に突入する。女性の高校卒業後の時代は「失われた20年」にほぼ重なる。

 1998年、女性は未経験で正社員の仕事を得ることができた。IT企業でデータ入力の仕事だ。正社員ということもあって「喜んで入社した」という。ただ、手取りは11万~12万円程度だった。

 やがて異動になった。しかし、新たな部署で機械に頭をぶつけた。労働災害になるはずだが、労災申請すると正社員の地位を失うような気がした。体調が悪い日が続いたこともあって、辞めざるを得なくなった。

 半年ほどアルバイト生活を経て就職活動を行った。もう正社員の仕事はなかった。「仕事があるだけマシ」。そう思い、一度辞めた会社に契約社員で戻った。

 再就職して10年ほど経過してようやく正社員に戻ることができた。しかし、気がつくと新卒の若い人がどんどん正社員で入っていた。新型コロナウイルスの感染拡大前に女性は会社を去った。

「自分一人で生きていくのに精いっぱいでした」

 以降、アルバイトなどを繰り返してきた。「自分一人で生きていくのに精いっぱいでした」。だから結婚もしていない。当然、子供もいない。

 氷河期世代が生まれたのは国の失策だと思う。せめて、氷河期世代対策の予算を低賃金補償として直接、氷河期世代にお金を配ってほしいとさえ考える。

 「氷河期世代をなかったことにしようとしていませんか」。入れるべき候補者に悩みながらも投票には行くつもりだ。

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