大河ドラマ「光る君へ」への藤原伊周役をはじめ、多くの映画・ドラマに出演している三浦翔平。
全国ランキングで46位というメジャーな名字である「三浦」は、そのルーツが1カ所に特定される珍しい名字である。
名字のルーツは地名であることが多いが、1つの地名から生まれた名字にはその広がりに限界があり、メジャーな名字の場合は複数のルーツの地を持っていることが多い。そうしたなか「三浦」は、1カ所のルーツから全国に広がってメジャーな名字となったものだ。
三浦氏は桓武平氏の武士で、平安時代の前九年の役で活躍した村岡為通が相模国三浦郡三浦荘を与えられ、衣笠城に拠って三浦氏を称したのが祖という。
この三浦荘の正確な場所はわからないが、現在の神奈川県横須賀市佐島地区とみられている。「万葉集」に「御宇良崎」として登場する、富士山を遠望できる漁村である。
最初に歴史上に登場する三浦一族は三浦為継という。為継の父は、為通、為直、公義など諸説あってはっきりしない。
いずれにせよ為継が三浦一族の事実上の祖で、源義家に従って後三年の役で功をあげた。以後代々源氏に属し、三浦半島を拠点として水軍を擁していた。
平治の乱では義明の嫡男義澄が源義朝方について敗北。以後は平清盛と結んだ大庭景親が相模に勢力を広げたため、源頼朝が挙兵すると義明・義澄父子はこれに従い、義明は衣笠城で討死した。
義澄は頼朝に従って安房に逃れ、鎌倉幕府の成立後は相模国守護となって幕府の宿老として活躍、一族の和田義盛も侍所別当となった。「鎌倉殿の13人」で有名になった13人の合議制にも、三浦義澄と和田義盛が参加している。この義澄の嫡男が山本耕史演じていた三浦義村である。
和田義盛が反乱を起こして討たれた後も、一族で河内・紀伊・讃岐・土佐の守護をつとめるほか、義村・泰村・光村は評定衆となるなど三浦氏の全盛期を築いた。
こうして鎌倉幕府内で最大の勢力となった三浦氏は一族が各地に広がった。そのため、全国の三浦一族はこの末裔と伝えているものが多い。
戦国時代には相模の戦国大名に三浦氏があったほか、江戸時代には美作勝山藩主や紀伊藩家老、彦根藩家老などに三浦家があり、いずれもこの相模三浦氏の子孫と伝えている。
現在では全国に広く分布しており、とくに東北から北海道にかけて多い。