ガバナンスの重要性
海外で生活した経験のある方はお分かりになると思いますが、言葉も習慣も全く違う場所で生活を立ち上げ、仕事をしていくことは、めちゃくちゃ大変です。
私は在ジュネーブ国際機関日本政府代表部に赴任した際、銀行口座の開設や部屋の賃貸借契約等には、現地採用の日本人職員の方が、付き添ってくれました。これは、言葉の問題というより、本人に影響の大きい重要な契約については、不利益を被らないよう細部まできちんと把握するために、万全を期しているということだと理解していました。
そうした場合に、さらに言葉が分からなかったとすれば、そのハードルがどれほどか高いものとなるかは、想像に難くありません。私も当初から言っていましたが、水原氏は大谷選手の銀行口座開設にも付き添い、さらに野球に集中したい大谷選手の生活全般のサポートをしていたのであれば、銀行のログイン情報も知っていたでありましょうし、銀行からの取引確認の通知先を、自分に変更していれば、大谷選手に一切気付かれずに、送金を繰り返すことも可能であったでしょう。
実際、水原氏は、大谷選手本人になりすまして、銀行と電話でやり取りをしていたそうです。いくら二重三重のセキュリティの仕組みがあっても、本人になりすまされてしまえば防げない、という、デジタル取引の落とし穴が改めて露呈したともいえると思います。「そんなことあり得ない」と主張していた米国の人たちは、英語を母語とするため、異国で「言葉が通じない」ことの大変さと、そこから派生する事象についての想像ができないのだと思います。
そして水原氏は、大谷選手と、代理人や会計士等との間に立って、双方に対し、自分に都合良く話を作り変えていたようです。大谷選手は、「代理人や会計士等がすべての口座をちゃんと監視していると思っていた」と捜査当局に話したそうですが、実際は「水原氏を介してのみコミュニケーションが行われる」という状況が存分に悪用されていました。
そして、結果的に大谷選手を全く守れていなかったバレロ氏等代理人たちの責任も大きいように思います。
また、不正送金された額は約24.5億円と、極めて多額であるわけですが、大谷選手のように、野球一筋で、お金にあまり頓着せず、こまめに口座をチェックしなければ、気付かないということも十分あり得るだろうと思います。
『大谷選手にとって、24.5億円はそれほど痛手ではないだろう』といった意見もありますが、「お金に頓着しない」=「お金を大事に思っていない」では決してないと思います。能登半島地震の被災地や子どもたちへのグラブの寄贈など、常に社会貢献活動に熱心に取り組む大谷選手であればこそ、そのお金をもっと多くの方に役立てたかったと思っておられるのではないでしょうか。
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今回の事件は、信頼している人だからといってすべてを任せてはいけない、不正を起こせないような実効的なガバナンス体制の必要性、なりすまし等のデジタル社会の深い落とし穴、人間の弱さ、依存症の怖さ・治療の重要性、人は自分の経験や価値観からのみ物事を判断する、等々――、社会にとっても我々にとっても、多くの教訓と注意喚起をもたらしています。