紳助さん「賞金1000万円。ガチンコ勝負や」 M-1を創ったのは現場を外れた吉本興業社員 漫才復活に向けた小さなプロジェクトが始まりだった 

松田 義人 松田 義人

結成5年目の令和ロマンが第19代王者に輝いた「M-1グランプリ2023」。「漫才ナンバーワン」を決めるコンテストは暮れの風物詩としてすっかり定着しましたが、そもそものスタートは吉本興業に勤務する1人の社員によるプロジェクトでした。

その人とは谷良一さん。2000年代初頭は従来型の漫才が低迷し、自身も大好きな現場から外された中、孤軍奮闘の挑戦でした。M-1誕生秘話が綴られた「M-1はじめました。」(谷良一・著、東洋経済新報社)が話題です。

 

「漫才・冬の時代」と著者が置かれた境遇

「M-1」立ち上げ前夜の1990年代後半から2000年にかけて、従来の「漫才」スタイルを崩したニューウェーブ的なお笑い芸が好まれ、漫才は「冬の時代」でした。「漫才禁止」という劇場が現れ、漫才は過去のお笑いスタイルのように捉えられる向きがあったそうです。

吉本興業の谷さんは当初芸人のマネージャーを経て、劇場プロデューサー、テレビ番組の制作に従事し「タレントと一緒に何かを作り出す」ことに情熱を注いでいたものの、同時期に中間管理職のような立場となり、現場仕事ではなく会議の資料や議事録を作ったり、部署間の連絡係などの仕事に従事するようになりました。

ある日、谷さんは上層部から呼び出され「漫才プロジェクト」を命じられます。漫才の魅力を再び輝かせるべく、地道に企画に取り組んでいくことになりました。愚直なまでの姿勢に力を貸す芸人や社員が増え、2001年に「M-1グランプリ」が実現します。

紳助さんが「若手の漫才コンテストを」と助言

谷さんの脳裏には、忘れることができない記憶がありました。

それは1980年代初頭に一世を風靡した漫才ブームの熱気でした。吉本興業所属だけでみても横山やすし・きよし、オール阪神・巨人、今いくよ・くるよ、島田紳助・松本竜介、西川のりお・上方よしおといったレジェンドたちが名を馳せた時代であり、谷さんはこの熱気をどうしても忘れることができなかったのです。

あの爆発的な盛り上がりを冬の時代の2000年代に蘇らせることができないのか、と谷さんは模索します。旧知の島田紳助さんに相談し、そこで持ち上がったのが「若手の漫才コンテスト」、後の「M-1グランプリ」でした。本文ではこんなふうに紹介されています。

紳助さんはたった8年で漫才をやめただけに、自分の出発点となった漫才に対して負い目を感じていたという。自分を育ててくれた漫才界に対して、常々恩返しをしたいと思っていたのだ、と。そして、漫才が落ち込んでいる今の状況を挽回する何かができたら、それは漫才界に対するお返しになると考えていたのだという。
ちょうど、そんな紳助さんの前へ、漫才プロジェクトをつくって漫才を復活させたいと目論むぼくが現れた。なんという偶然だろう。ぼくの話を聞いて、紳助さんはなんとかそれに協力したいと言ってくれた。
<中略>
漫才を復興するためにいろいやってるけど何かもの足りないんです、と言うと、紳助さんはこう言った。
「若手の漫才コンテストをやったらどうや」
正直、意外と平凡だと思った。そんなコンテストはたくさんある。今さらそんなコンテストをやっても果たして意味があるのだろうか。
それでも紳助さんが話すと、なんだか魅力的に思えた。次第に、大きなイベントになるような気がしてきた。
もやもやした思いはあったが、このイベントをやってみようと思った。(本文より)

優勝賞金1000万円。「漫才のガチンコ勝負や」

谷さんが綴っている通り、「若手の漫才コンテスト」とだけ聞けば意外と平凡に感じます。しかし、島田紳助さんはそれだけでは終わりません。さらに度肝を抜く提案します。

「優勝賞金を1000万円にしよう!」
「1000万!」
<中略>
若手の漫才師は貧乏だ。仕事がないから収入はない、収入がないからみんなアルバイトをしている。アルバイトの合間の空いた時間に漫才をやっているような漫才師もいた。漫才師としての年収が10万そこそこの若手はいっぱいいた。そんな漫才師に1000万円という賞金は夢のような金額だろう。
<中略>
確かに形だけの名誉よりも1000万円という賞金は貧乏な若手漫才師にとっては何よりも魅力であるに違いない。名より実を取れということだ。そこに目をつけた紳助さんは、まさに人間とは何かということをよく知っている。
「いいですね。ぜひやりましょう」
<中略>
ぼくは、興奮してきた。1000万円をどのように調達するかは全く考えてなかった。
しかも、このコンテストが異質なのは、賞金が出るのは優勝者だけで、2位以下には何も出ないことだ。最後まで勝ち残った漫才師だけにすべてが与えられる。負ければそこで終わりだ。
「今まであったようなもんやない、漫才のガチンコ勝負や。K-1のようなガチンコの大会にするんや」
「漫才やからM-1ですね」
「そうや、M-1や」(本文より)

漫才師たちの「漫才好き」の思いが励みになった

こういった『M-1グランプリ』の誕生秘話から今日に至るまでのストーリーを、赤裸々に綴ったのが本書です。

カッコ良い話ばかりではなく、泥臭いまでの谷さんの姿勢は生々しいものばかり。漫才・冬の時代に「新しい漫才ブーム」のうねりを起こしたのは、ともすれば軽んじられがちな「地道な努力が実を結ぶ」という姿勢でした。著者の谷さんに話を聞きました。

「当初の『M-1グランプリ』で最も苦労したことは、放送してくれるテレビ局がなかったことです。当時、漫才は完全に世間から忘れられていたため、そんな漫才の、しかも新人のコンテストを番組にしてくれるような局はなかった。また、スポンサーもなかなか見つからなかった。

しかし、そんな中でも励みになったのは、漫才師がみんな『漫才が好きだ』とわかったこと、最初はひとりのプロジェクトだったが次第に協力してくれる人が増えていったこと、出場者が次第に増えていったこと、お客さんがよく笑ってくれたことでした」(谷さん)

「安住せず、漫才を変革し続けていってほしい」

谷さんは2010年まで「M-1グランプリ」のプロデューサーを務めた後、2016年に吉本興業ホールディングスの取締役に就任。現在は、M-1の現場はもちろん吉本興業を離れ、小説家として創作活動に励んでいます。

「『漫才ブーム』を2000年代に……とは思っていましたが、ここまで大きくなるとは思いませんでした。『M-1グランプリ』を作って22年が経ち、コンテストは今や成人した立派な大人になりました。もはやぼくが口出すことではないですが、ここに安住せず、漫才を変革し続けていってほしいと思っています。

2023年は、予選の審査員を大幅に替えたと聞きました。今までの『M-1グランプリ』をつくってきた人たちを若い人に代えたそうなので、それがどのような変化をもたらしたのか興味津々です」(谷さん)

最後に本書に込めた思いも聞きました。

「この本は、『M-1グランプリ』を作りあげていく過程で苦労したこと、考えたこと、発見したこと、悔しかったこと、泣いたこと、笑ったこと、嬉しかったことをすべて書いてます。お笑いファンだけでなく、すべての人に読んでもらいたいです。決して損はさせません!」(谷さん)

発売前にして重版がかかるほど話題となった本書。お笑い好き、M-1好きならずとも、ビジネス書としても深く濃い内容です。

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