LSIゲーム、ファミコン、ゲームウォッチ…コーラの景品も!? 日本が誇る家庭用ゲーム機に魅せられ四半世紀 博物館設立目指す男性の夢

小嶋 あきら 小嶋 あきら

 任天堂ファミリーコンピューターのデビュー以来、進化してきた家庭用ゲーム機。1970年代以降、その時々の時代を映して様々なものが現れ、消えていきました。ゲーム機の世界に魅せられ、ゲーム史の博物館の開設を目指す人がいます。

ゲーム史の博物館を作る。その夢を実現するために

 特定非営利活動法人日本レトロゲーム協会の理事長・石井豊さん。同協会は、ゲーム文化の保護を目的として、日本のゲーム史の博物館を開設することを目標に活動しています。

 石井さんは元はゲーム機のリサイクル業をしていました。1997年頃から、家庭から廃棄されるゲーム機を中心に回収、整備して再生する仕事です。その中で次第に「これは日本の大切な文化だ」という思いを抱くようになりました。「日本の家庭用テレビゲーム機、ゲームソフトの歴史を文化遺産として後世に残していく」ことを目的に、同協会を設立しました。

 プロフィールによると石井理事長のお気に入りは、PCエンジン版「モトローダー」、ス-パーファミコン版「風来のシレン」だそうです。

みんなビデオゲームに夢中になった、あの頃

 いわゆるビデオゲームが世の中に出てきたのは1970年代の終わり頃でしょうか。遊園地や温泉などにあったそれまでのゲームが、模型や影絵といった何らかの実体が動いていた原始的なものだったところに、突然テレビ画面上で絵が動くゲームが現れたのです。当時小学生だった筆者にはエポックメイキングでした。最初はホッケーやテニスといった、シンプルに球をラケットで打ち返し合うもの。次にそれが発展して、球を打ち返してブロックを崩していくもの。それからシーソーで人が飛び上がって風船を割っていくといった斬新な展開があって、大ヒットしたのがスペース・インベーダーでした。

 テーブル形のゲーム機が喫茶店に置かれるようになって、大人の世界に一気に広がっていったのがこの頃だと感じます。

 テニスやホッケーなんかはテレビにつないで遊べる家庭用も出てきて、コカコーラを買うと「スポーツトロン」というゲーム機が当たる、とピンクレディーがCMで歌っていたのを覚えています。

時代はパソコンへ、そしてファミコン登場

 その後、NECのPC8001やシャープのMZといったパソコン(当時はマイコンと呼ばれることが多かったような気がします)が高価ながらも趣味の世界に現れ、インベーダーゲームが家庭でできるようになってきました。そして1983年、任天堂からファミリーコンピューターが発売されたのです。

 30万円近くかかったパソコン(シャープのMZ80Bというモデルでした)は緑色単色の画面だったのに、14800円のファミコンはいきなりカラーでゲームができる、これは悔しいけど画期的でした。

ゲームウォッチと、もう一つの流れ

 そのファミコンからスーパーファミコン、3DO、X-BOX、プレイステーションと、どんどん進化したテレビゲーム機が出てくるわけですが、その流れとは別に、もっとパーソナルな小型のゲーム機の歴史も連綿と続いていました。ゲームセンターの筐体を小さくしたようなLSI(大規模集積回路、という名称も懐かしいですね)ゲームから、ゲームウォッチ、ゲームボーイ、PSP、というような系統ですね。

 ゲームウォッチの時代からしばらくは、カセットの抜き差しでいろんなゲームができるものではなくて、これはこのゲームだけに特化した製品ですよ、といったものでした。ゲームの種類だけ本体があったんですね。だからこの途中にはもう、ゲームの本体は百花繚乱、網羅しきれないくらいの多種多様なゲーム機がありました。

 筐体を使い回してチップと液晶だけ開発することで、比較的少ないロットでも作れたのでしょうか、わりとマイナーな漫画などをテーマにしたものや、販促用に企画されたノベルティのような、どう考えてもあまり数が出てなさそうなレアなゲーム機が無数にあるようです。この多様性、めくるめくキッチュでカラフルな世界は、時代を映す一つの文化といって差し支えないでしょう。

博物館に収蔵される予定の資料の展示会

 2023年8月に開催された「第2回レトロゲーム博物館計画 資料展示会」では、その活動の一環として今回、現在収集されているコレクションの一部が展示されました。

 廃校の廊下と教室2つを使った会場には、ものすごい量のゲーム機が展示されました。初期のテレビゲームから、LSIゲーム、ファミコン、ゲームウォッチ、アーケードゲーム、80年代のパソコンなど。スペースエイジの流れを感じさせるデザインと、キッチュでポップな色合いの洪水。あまりの懐かしさに、つい時間を忘れて見入ってしまいました。

 アニメやコミックと並んで日本が誇るゲーム文化を保護し、その魅力を広く世界に発信していく。ビデオゲームの黎明期に子ども時代を過ごした筆者としても、この活動にはとても共感しました。

 この展示会は共創パートナーとして阪南市の支援を受けたもの。約1カ月間の期間、盛況だったようです。筆者が会場を訪れたのは終了間近の8月28日でしたが、その前日、27日の日曜日には230人以上が入場したそうです。

 資料展示会は今回が第2回でしたが、第1回は2017年。次回は2025年の大阪・関西万博に合わせた展開を模索しています。今回は閉幕後のレポートになってしまいましたが、レトロゲームにご興味のある皆さん、同協会の活動にぜひ注目してください。

日本レトロゲーム協会のサイトはこちら→http://jarga.or.jp/

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