昭和の大ヒット商品「マジソン・バッグ」の秘密 天皇陛下も特注品愛用、当初東京で売れず港町から火が付いた

金井 かおる 金井 かおる

 昭和40〜50年代に一世を風靡したバッグがあったことをご存じでしょうか。大手バッグメーカー、エース株式会社(本社、東京都渋谷区)が手がけたマジソン・スクエア・ガーデン・バッグ、通称マジソン・バッグ。当時の学生たちがこぞって買い求めたという「伝説のバッグ」には数々の秘密が隠されていました。

なぜマジソン・スクエア・ガーデンだったのか?

 マジソン・バッグが誕生したのは1968(昭和43)年のこと。東京・新宿の伊勢丹から「スポーツ売り場のオリジナル商品を作って欲しい」という依頼を受け、エース株式会社が開発しました。

 昭和40年代といえば、VANやJUNなどアメリカンカジュアルブランドの英文字の入った服が流行した時代。同バッグも濃いネイビー色の半月形のような丸っこい本体に、白い文字で「MADISON SQUARE GARDEN SPORTSMAN CLUB boxing wrestling football」、右下にはメーカー名「ACE.」が金色文字でデザインされています。

 なぜアメリカ・ニューヨークのイベント施設名が採用されたのでしょうか。

 実は開発時に担当者からこんな声が上がりました。「ただ単に英文字を入れても意味がない。誰もがあこがれる『あの場所』をあしらってみてはどうか」。あの場所というのが、当時の日本で野球とともに人気のあったスポーツ、プロレスの殿堂「マジソン・スクエア・ガーデン」でした。

 そこで、戦後日本の復興の象徴だったプロレスブームをヒントにデザインを考案します。

 「1950年代から60年代にかけ、力道山という不世出のスーパースターが日本のプロレス界に君臨しており、一大プロレスブームでもありました。外国人レスラーをなぎ倒す力道山の空手チョップは日本人のあこがれであり、(戦後)復興した日本の夢、希望であったといえます。そのプロレスの殿堂の名前を日本風にアレンジしたものが、日本初の横文字入りカバンであるマジソン・バッグになったのです」(エース株式会社)

東京では販売終了→「港町」で火が付き大ヒット

 1968年春から伊勢丹での販売が始まりましたが、残念ながら売り上げは芳しくなく、ほどなく取り扱いは終了。

 しかし、同社では関西エリアの顧客をターゲットにし、再度販売を試みることに。商品の横文字=外国人が多く住む街という連想から選んだ場所は、異国情緒漂う兵庫県神戸市。同社のもくろみ通り、新し物好きな神戸っ子たちの琴線に触れたようで一躍ヒット商品となりました。

 「港町での販売は大成功。評判は口コミで広がり、関東ではやはり横浜、横須賀から売れ始め、大ブームの引き金になりました。まず女子高校生が注目し、通学用サブバッグとして使用し始めたのが大きなきっかけです。学校の副制鞄として採用する学校も多く、男女ともに広がり、中学生から大学生まで幅広いユーザーに支持されました」(同社)

 同社にはこんなエピソードも残っています。

 「あまりの人気で今上天皇陛下徳仁さまも持たれていました。マークなしの製品をご注文いただきました」(同社)

 当時高校生だった天皇陛下が通学される様子を記録した映像には、文字がいっさい入っていないマジソン・バッグの特注品が映っています。

類似品含め約2000万個が売れた

 ネイビーのワンサイズ(45×28×17センチ、1300円)からスタートし、大きなサイズ(51×30×22センチ、1500円)や白色バージョンなども登場。人気とともに類似品まで出回るほどでした。

 1978(昭和53)年までの10年間で販売個数は1000万個を記録。「類似品を含めると2000万本(個)が販売されたと推測されています」(同社)

 その後、市場で飽和状態になったこと、時代の流れなどを理由に姿を消しました。1994、2000年には多くの要望を受け、数量限定で復刻。昭和世代だけでなく、幅広い世代から注目を集めました。

 「団塊世代には感傷的ななつかしいバッグでもあり、若者世代には新しい魅力のマジソン・バッグ。日本の鞄史を語るにあたって、決して外すことのできない伝説のスポーツバッグです」(同社)

     ◇

 当時、製造された貴重なオリジナル版は「世界のカバン博物館」(エース株式会社東京店併設)で展示中です。

「世界のカバン博物館」
住所:東京都台東区駒形1-8-10
開館時間:午前10時〜午後4時30分
休館日:日曜・祝祭日・年末年始および不定休日
※土曜が祝日の場合は開館
※不定休日があるため事前に電話で確認を
電話番号:03-3847-5680
入館料:無料

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