出産予定だった野良猫が、ボランティアの連携不備から堕胎手術を行われてしまうことが2018年2月に神奈川県で起きました。母猫の里親さんも、いずれ生まれてくるはずの里親さんも見つかっている状態。なぜこのようなことが起きたのでしょうか。
神奈川県の賑やかな地域の一角、駐車場のすみに草が生い茂る場所があります。ここに2017年末に、生後3~4カ月に見える子猫がふらりと現れました。その愛らしいこと。近所に住む6人が、代わる代わるお世話をしていました。
たくさん名前がある猫
その中に40代のカップルSさんとNさんの姿が。この2人は子猫を「ビーちゃん」と名付けていました。美形の猫だからビーちゃんです。他の人は「はなちゃん」や「はーちゃん」と呼んでいたよう。
ビーちゃんはとても人懐っこい子で、Sさんが自転車で通りがかると草むらから飛び出してくるんです。どうやら自転車の鍵についている鈴の音で分かるよう。そんなビーちゃんをSさんは愛おしく感じていました。
実はSさん、今まで猫どころか動物と暮らしたことがありません。小さい生き物に興味が持てなかったのに、ビーちゃんだけは違ったのです。一緒に暮らしたいと思うようになっていました。Nさんも賛成してくれました。
しかし、ビーちゃんにはお世話をしてくれるおじいちゃんおばあちゃんが、他に4人います。突然、引き取ったら彼らが悲しむのではないだろうか…。何より、当時はペット不可の賃貸物件。どうしようかと悩んでいた矢先に事件が起きます。
生まれてくる子猫にも家族を
2018年1月、ビーちゃんのお腹が大きくなっているのです。どうやら妊娠しているよう。ビーちゃんのお世話をしている人たちは大喜び。それぞれ子猫が生まれた後、迎えてくれる家を探し、6家庭見つかりました。あとは生まれてくるのを待つのみ。
いつしか、ビーちゃんのお世話をしてくれる人たちは「応援団」のようになっていました。ほぼ全員ペット不可の物件に住んでいるため、ビーちゃんも子猫も家に迎えることはできません。その分、「みんなの猫」という団結力が生まれていたんです。
でも、ビーちゃんのお気に入りはNさん。Nさんは大の猫好きで、実家で猫と暮らしていた経験があります。Nさんを見つけると、並んで家まで見送ってくれるんです。時々、Nさんの顔を見上げて、何やらお喋りもするんですよ。
まさかTNRの対象に
2018年2月某日、この日も仕事帰りのNさんを見つけたビーちゃんは家まで見送ってくれました。この時、家に入りたそうにしていたのをNさんは静止します。
「ここはダメなんだ。ごめんね」
ビーちゃんはとぼとぼと駐車場へ…。これがお腹の大きなビーちゃんを見た最後の姿とは、誰も想像すらしていませんでした。
次の日、Sさんがいつものように自転車の鍵についている鈴を鳴らしても、ビーちゃんは出てきません。応援団の他の人も、ビーちゃんの姿を見ていないとのこと。通りがかった人が言うには、保護猫ボランティアの人が連れて行ったと。捕獲機を設置し、バスタオルにくるんで…。
これを聞いたNさんは真っ青。町内会に知らせてあったので、近隣の人は応援団が世話をしていると知っていると思っていたのです。まさか避妊手術をされるのでは…。すぐさま地域の動物病院に片っ端から電話をかけます。間に合ってほしい。
せめて耳カットだけは止めてほしい
その願いは虚しく砕かれます。何軒目かの動物病院に電話口でビーちゃんの特徴を伝えると、「もう手術は終わりました」と…。お腹の中の子猫は亡くなってしまったとも告げられます。目の前が真っ暗になりました。
Nさんは院長と代わった電話口に切々と訴えます。生まれてくるはずの子猫の引き取り手が見つかっていたこと、ビーちゃんは野良猫とはいえ世話をする人間が何人もいたこと、何より捕獲して病院に持ち込んだのは町内会の人間でないことを。
そんなことを今さら伝えたとしても元通りにならないと分かっていますが、怒りや悲しみの行き場がありません。せめて、TNRの証である耳カットだけは止めてほしいと懇願しました。院長は了承します。
Nさんがビーちゃんを引き取ることは規則で出来ず、応援団はいつもの場所で待つしかできません。応援団は、ビーちゃんの今後について話し合いをしました。もう「みんなのビーちゃん」とはいっていられないから。
新しいお家は嫌!
実はSさん、ペット可の物件を探し始めていました。子猫たちが新しい家族のもとへ行ってから、ビーちゃんを迎えようと思っていたからです。でも、応援団の一人がビーちゃんを迎えてくれると申し出てくれました。
いつの間にかいつもの場所に戻されたビーちゃんに、新しい家に行くよと伝えます。ビーちゃんは何のことか分からないまま、キャリーケースに入れられ応援団の一人の家に。その家には先住猫も犬もいて、とても賑やか。人間から見ると、良い環境に思えました。
しかし、ビーちゃんは今まで猫や犬と暮らしたことがありません。ビックリして玄関から飛んで逃げてしまいました。交通事故に遭っては大変と、応援団はまた足を棒にしてビーちゃんを探します。
10時間ほど応援団全員で探し、ようやくビーちゃんを発見。逃げてしまったお家の近くで小さくなっていました。Nさんが「帰ろう」と言うと、静かについて来てくれます。
ビーちゃんとの約束
NさんとSさんは、ビーちゃんのお腹の傷が癒えるまでと大家さんに頼み込み、1週間ほど家で過ごしてもらいました。その後、いつもの場所へ。応援団は大歓迎してくれました。しかし、ビーちゃんは不満。このままずっと家で過ごせると思っていたのに…。
そのビーちゃんの気持ちが痛いほど分かるNさんとSさんは、年末進行で大忙しの時期であるものの新居を見つけ、引越しの手配をしました。ビーちゃんには何度も「必ず迎えに来るから」と約束して。
慌ただしく引越しをし、仕事が忙しい中、荷解き作業。ようやくビーちゃんを迎える準備が整い、いよいよお家の子になる日がやって来ました。Nさんに抱っこされ、ビーちゃんはいつもの場所を発ちます。
「元気でね。幸せになってね」
応援団のおじいちゃんおばあちゃんは、大きく手を振り見送ってくれました。ビーちゃんの姿が見えなくなるまで、手を振ってくれました。
バンザイをして寝る猫に
現在のビーちゃんは、お外にまったく興味がないお家の猫。トイレの失敗もなく、大きな悪戯もしません。ただ、怖いものがあるんです。それはバスタオル。TNRの際、バスタオルにくるまれて動物病院に行ったからか、今でも怖くてたまらないよう。
あと、人間も怖くなりました。あれほど応援団に可愛がってもらったのに、今ではNさんとSさんにだけベッタリ。それを分かっているから、応援団が家に押しかけることはありません。みんな、ビーちゃんが幸せなら嬉しいんです。
最初のころは、少しだけ警戒をしていたビーちゃんですが、今ではお腹を見せながらバンザイして寝るんですよ。お外では絶対にできない寝姿に、NさんとSさんは自分たちの選択に間違いはなかったとしみじみ感じます。
ビーちゃんの赤ちゃんたちにも、この安心をあげたかった。野良猫の繁殖が社会問題だと分かっていても、ビーちゃんの赤ちゃんたちに会いたかったという後悔は今も残っています。