京都・壬生寺で50年前の冷蔵庫が稼働状態で発見 実は昭和の画期的な冷蔵庫だった

浅井 佳穂 浅井 佳穂

半世紀を経て「帰郷」

 冷蔵庫はシャープ八尾事業所で保存されることが決まりました。今年1月、杉本商事のトラックに載せられ、50年前の冷蔵庫は八尾事業所に到着しました。八尾事業所はこのシリーズの冷蔵庫が製造された工場です。つまり、半世紀の時を経て冷蔵庫は「出身地」に戻ったというわけです。

 貴重な冷蔵庫はシャープ八尾事業所に引き取られました。技術者たちが丁寧に磨いた後、電源を入れると庫内はちゃんと冷えていたそうです。

 さて、引き取られて半年近くたちましたが、冷蔵庫は今どうなっているのでしょう。

当時12万9800円

 冷蔵庫「ニューアラスカSJ-3300X」は「シャープ冷蔵庫の歴史」などの掲示とともに、社員食堂の一角にきちんと展示されていました。幅67・5センチ、奥行き59・5センチ、高さ134・5センチの3ドアで、現在の容量表示だと300リットルほどに相当するそうです。

 発売当時の価格は12万9800円で、現代とさほど変わらない値段です。当時はかなりの高級冷蔵庫だったようです。

 ドアの前に立ってみると、意外と小さいことが分かります。右側のドアが冷蔵、左側の上の冷凍、そして左側の下が世界初の家庭向け野菜室でした。

 恐る恐るドアを開けてみると、右側ドアにはバター収納用の空間があり、冷蔵室上部にはチルド室の原型の「フレッシュルーム」があります。注目の野菜室には3段の引き出しがありました。

 しかし、この野菜室をつけた冷蔵庫はそんなに珍しかったんでしょうか。シャープの社員に聞くと印刷物が出てきました。

50年前のプレスリリース

 「50年前のプレスリリースのコピーです」。なんと発売当時のプレスリリースが出てきました。うたい文句は「独創の日本家庭用3ドアも初登場」でした。よく読むと、「全国1万人の主婦を対象に20回にわたる市場調査を行い、その結果を生かして試作を重ね」とプレスリリースは紹介しています。

 どういうことか、シャープの社員が背景を教えてくれました。1970年代前半、インフレの進行に伴い、野菜などの食品価格は上昇を重ねていました。プレスリリースでは「野菜の値段がぐんぐん上がるにつれて、野菜の鮮度を一日でも長く保ちたいというご要望が、切実です」と記されています。

オイルショックで注目

 1973年、第4次中東戦争が始まりオイルショックが起きました。値上がりする野菜が長持ちし、食品ロスを抑えることができるため、野菜室の付いたこの冷蔵庫は一躍注目を浴びたそうです。

 プレスリリースでは「冷気を直接入れない間接冷却方式」と紹介されています。野菜の専用室という設計のため、ドアを開け閉めする回数が減るとし「(野菜の)乾燥を防ぎ、鮮度を保つ」とアピールしています。

 さて貴重な冷蔵庫は、シャープ八尾事業所のみなさんが磨いたとしたとしても、50年前の製品にしてはずいぶんきれいです。壬生寺ではどう使われていたのでしょう。

 松浦貫主によると冷蔵庫はかつては庫裏に置かれており、主に節分や春・秋の壬生狂言公開時など多くの人が集まる際に稼働させ、ビールやジュースなどを入れるなどしていたそうです。

 松浦貫主は「あの冷蔵庫を見ると、大きい法要や行事のことを思い出します。壬生狂言の打ち上げなど、多くの人が集まった際にあの冷蔵庫が稼働していました」と懐かしそうに話します。さらに「あの冷蔵庫は予備だったので、動かす時間が少なく今でも動くのでしょう。小さいときにシールなどを貼らなくて良かった」と笑います。

物持ち良すぎの秘密

 とはいうものの、一つの冷蔵庫を50年も置いておくなんて物持ちが良すぎます。なにか仏教や壬生寺の宗派・律宗の教えと関係があるのでしょうか。

 「唐招提寺の伽藍(がらん)には再利用の部材が多いんです」と松浦貫主は語り始めました。実は壬生寺の所属する宗派の総本山・唐招提寺(奈良市)の建造物の多くはリサイクルの部材でできているそうです。

唐招提寺の建物の多くは…

 講堂(国宝)は平城宮にあった建造物「東朝集殿」を移築・改造したものです。あの有名な鑑真像が置かれている御影堂(重要文化財)は興福寺(奈良市)の塔頭にあった建物で、かつては奈良県庁としても使われていたそう。さらに、奈良時代や鎌倉時代の建物が何度かの修理を経ながらも、現在も大切に使用されています。

 「使えるものを捨てるのはもったいないと思うんです。鑑真和上の精神かもしれません」と松浦貫主。そんなお寺だから50年前の冷蔵庫が稼働状態で残っていたのでしょう。1台の冷蔵庫を通じ、日本の現代史と仏教思想を感じることができました。

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