その映画が上映されていることを知ったのは6月下旬、神戸新聞夕刊でのこと。飛びつくようにしてネットでチケットを予約した。最近では記憶にないテンションだった。
「探偵マーロウ」。いうまでもないレイモンド・チャンドラーが生み出した私立探偵フィリップ・マーロウが主人公のハードボイルド・サスペンス映画だ。
マーロウとは学生時代以来45年を超えるつきあいになる。同じ原作が複数の翻訳者によって翻訳されており、すべてを読み比べた。ついには熱が高じて原作のペーパーバックにまで手を出したが、さすがにこれは3ページほど読み進めたところであきらめた。最近では村上春樹が長編全作の翻訳に乗り出して話題になった。つまり、書棚の一隅はマーロウだらけである。
これだけ世界中で愛された原作なのに、映画化の頻度は思ったほど多くない。それだけ原作の世界を再現するのが難しいということの証しなのか。もちろん映画の方も古いものも含めて観漁ってきたが、原作を超えるような…というレベルに達したものは一作もなかった。
一般的に最も高く評価されたマーロウ役は1946年の作品「三つ数えろ(原作=大いなる眠り)」のハンフリー・ボガートだろう。小説の方では最高傑作と言われる「ロング・グッドバイ」が映画化されたのは1973年。一部評価する向きもあったが、個人的にはエリオット・グールドのマーロウがまったくピンと来なかった。私にとって一番イメージの中のマーロウに近かったのは1975年の「さらば愛しき女よ」のロバート・ミッチャムか。
そのマーロウをこの「探偵マーロウ」ではリーアム・ニーソンが演じるという。「シンドラーズのリスト」で一躍名をはせたが、最近では寡黙なアクション・ヒーロー役が専らはまっている。御年71歳。彼の映画出演100作記念という位置づけの作品だ。原作の小説「黒い瞳のブロンド」は「ロング・グッドバイ」の続編として公認を受けた、とキャッチコピーはにぎにぎしい。
映画館は思いのほかの客席の埋まりようだった。平均年齢はもちろん高め、特徴としては男性のひとり客が目立つ。
全編の3分の2あたりまでは、マーロウが生きた時代、そのキャラクターが期待以上に忠実に表現されていて強くひきつけられた。秀逸だったのは、重要な脇役の顔ぶれが実によく役にはまり、画面を引き締めている点だった。
特にヒロインの母親役の大女優を演じるジェシカ・ラングが素晴らしい。「キングコング」でのデビューは鮮烈に覚えているが、それも1976年というから半世紀近くも前のこと。以来、アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞、エミー賞、トニー賞…とあらゆる演技賞を総なめにしてきた実績はダテではなかった。
3分の2あたりまで…と敢えて注釈をつけたのにはもちろん理由がある。残る3分の1、つまりはクライマックスに近づくと、銃がドンパチ、血潮が飛びまくる展開になり、リーアム・ニーソンがお得意とするアクション映画そのままの締めくくりになってしまった。
看板である彼の100作記念、商業的成功といった足枷を考えると致し方のないところなのだろうが、それはさておいても「マーロウらしい」終わり方にこだわって欲しかった。
加えて、71歳の老体にアクションの主役はきつい。じゃあインディ・ジョーンズシリーズの新作「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」のハリソン・フォード、80歳はどうなるのかと言われそうだが…。さらに言えばフィリップ・マーロウのセリフの味を日本語字幕で表現しきることもまた至難の業である。
満足度は80%。帰りに書店に立ち寄り、原作の「黒い瞳のブロンド」を購入した。