6月中旬の土日、里山プロジェクト「ミチのムコウ」の枝豆植えに参加するため2日続けて丹波篠山へ通った。
1日目は5月初めに田植えの終わった田んぼを取り囲むように、昨年収穫した黒枝豆から発芽させた苗を畔に植えていく。畔豆といって、そもそもは農地の圧倒的な主役が稲だった時代、少しでも空いた土地を有効に利用する目的で始められた栽培のスタイルだという。
ところが米が余るようになってからは休耕田が増え、枝豆も水田跡の畑を利用して植えられるようになった。田んぼの周囲を枝豆がグルリと取り囲んで育つ景色も見かけることは少なくなった。
作業自体はむずかしくはない。水田の水際から親指と小指を広げた程度、15センチほどの距離を置いて移植ゴテで小さな穴を掘り、苗を少し深めに植えこんでいく。
しゃがみこんだ目の前には、自らの手で5月5日に植えた酒米、五百万石の苗が育ち、水面から20センチほどの丈になっていた。田植えのとき、爪楊枝よりももっと細い頼りなげな苗を、3本ほどをメドに摘まみ、深いぬかるみの中に差し込んだ。手を離せば浮き上がってくるのではないか、そんな心もとなさが消えなかったことを思い出す。
それからおよそ40日、稲はしっかり泥の中に根を張り、株が増え、一本ずつの太さも見違えるようになっている。稲刈りの予定は9月初め。わずか2カ月余り先のことでしかない。毎日、子細に観察する機会があれば、日ごとに成長していく姿を実感できるのに違いない。
薄く濁った水に目を凝らすと、小指の先ほどの無数のおたまじゃくしが泳ぎ回っているのが透けて見える。その数の多さ!!水面にはアメンボウが浮かび、参加していた子供が水カマキリを捕まえたと騒いでいる。里山で育った自らの子供時代以来、何十年ぶりかの光景。メダカ、ヤゴ、タニシ…水田は水生生物の宝庫だった。リーダーの吉良さんによると、いまではタガメ、ゲンゴロウなどは丹波篠山では見られなくなっていて、県の絶滅危惧種に指定されているものも少なくないのだという。
2日目は枝豆専用に空けてあった畑一枚分の苗、数百本を植え切った。きれいに揃えられた畝の間を進みながら、約60センチの間隔を目安に移植ゴテで穴を掘り、苗を植えていくという単純な作業の繰り返し。立ったままでは仕事にならないので、しゃがみこんだままで横に位置をずらしながら黙々と手先を動かす。用意した苗を植え終わり「終了です」の声がかかったときの解放感は格別だった。
前日に植えた畔豆も気のせいか広げている葉が少し大きくなったように感じる。ところが水辺から15センチのメドで植えたはずなのに、1日経ってみると枝豆の根元近くにまで水が迫っていた。吉良さんに尋ねると、上流にある別の田んぼが抜いた水が流れ込んでいて、適切な水量を越えた状態になっているのだという。そのままだと稲の根に酸素が届きにくくなり、生育に影響してくるため、水の入口をいったんふさいだり、出口を開いて溜まった水を逃がしたり、と展開されるプロの細かな作業に目を見張った。
月に一、二度、現地に顔を出す程度だと、何もしなくても知らない間に育つものと錯覚しがちだが、日々変化する天候も頭に入れて細かなメンテナンスが続けられていることを忘れてはバチが当たる。
2日間で植えた枝豆の収穫は10月初旬。去年は枝豆の茎が想像以上に太く、鎌ではとても刈り取ることができずに枝切りバサミのお世話になった。この爪楊枝ほどのものが…。そのギャップを実感することが楽しい。