猫や犬に優しいまちを目指す京都の自治体に残る「ぞっとするような」化け猫伝承 明智光秀にちなむその言い伝えを追う

京都新聞社 京都新聞社

 猫や犬に優しいまちを目指す「にゃんたん市プロジェクト」を展開する京都府南丹市。その足元に猫との深いゆかりを示す事物は眠ってはいないか。見つかったのは、かわいい猫ちゃんではなく、ぞっとするような化け猫伝承だった。戦国武将明智光秀にちなむ言い伝えの痕跡を追って、八木町の山へと分け入った。

 JR山陰線八木駅から北西へ約2キロの同町八木嶋に「畑が釜の怪猫(かいびょう)」という話が息づく。1987年発行の冊子「郷土よしとみ」によると、尾が二つに裂けた猫が朝倉山に住んでいた。釜のような形の大岩の陰に潜み、集落に出没しては里人を襲ったという。

 4月下旬、マツタケ山の再生に取り組む八木嶋の薗田登さん(87)と、「八木町市民フォーラムの会」の代表で八木の事物に詳しい同町刑部の芦田讓さん(79)と一緒に、朝倉山へ向かった。

 樹齢50年のスギに囲まれ、静かな雰囲気が漂う春日神社の脇を抜け、倒れた木をまたぎつつ斜面を歩く。10分ほど進むと声が上がった。「これじゃないか」。薗田さんと芦田さんが口をそろえて見上げる。地表に一部が出た岩で、縦20メートル、横10メートルはある。土に埋まっていなければ、釜のような姿が見えていたのかもしれない。「この辺りでは、なかなかないくらい大きい」。京都大名誉教授で地質に詳しい芦田さんの言葉に、伝説の地を突き止めた自信が深まる。眺めていると、かつて怪異がいたように思えてくるから不思議だ。

 化け猫は光秀の家臣「伊藤某」に退治されたという。なぜこんな奇譚(きたん)が残っているのか。薗田さんは「落人が隠れ住んでいたのでは」と想像する。朝倉山から近い山城「八木城」はキリシタン武将内藤ジョアンが治め、光秀の丹波攻めで落城したとされる。大岩のそばには身を隠せる谷があり、山水も流れていた。追っ手から逃れて生きるのによさそうだ。「内藤家の落人が、いつしか化け猫に変わった」と推測する。光秀の家臣が里人を助ける筋立ては「攻め入った地域の住民感情を改善する面があった」と指摘する。

 昔の人は森羅万象に神の存在を感じ取ったといわれる。芦田さんは「朝倉山の大岩もかつて信仰の対象で、伝承につながった可能性がある」と語る。

 別の見方もできる。八木嶋はしばしば大堰川の水害で孤立した。ゆえに嶋の字が付くという。洪水への恐れが化け猫に仮託された可能性も考えられる。

 昔話を知る人は今やいない。しかし、「伝承には種となる歴史が含まれている」という薗田さんの言葉通り、少し掘り下げるだけで戦国時代や地域の歴史、精神性にまで関心が広がった。地域への愛着も深めてくれそうだ。

 「にゃんたん市-」は当初「猫と泊まれる施設を増やす」との施策を掲げたが、生態を無視していると厳しい批判を受け、内容の練り直しを図っている。失地回復に向け、芦田さんは「猫にまつわる地域の言い伝えを住民から募ってはどうか。ゆかりの地を巡るツアーも面白い」と提言する。

 住民の力を借りながら猫とのゆかりを地道に発信するのが大切-。そんな思いを深めながら朝倉山をゆっくりと降りた。

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