大阪都心を通りながら、平日はまったく走らないバス路線があります。しかも、約50年前は路面電車が走っていたにも関わらず、です。そんな不思議なバス路線を訪ねてみました。
大阪駅に寄るか否かで大違い
平日にまったく走らないバス路線は阪神バス・野田阪神前停留所から出発します。野田阪神前停留所は阪神本線野田駅前にあります。
野田阪神前停留所からは杭瀬方面と中津・天神橋筋六丁目(天六)方面の便がありますが、どちらも土休日に1日1往復しかありません。ここでは中津・天六方面の阪神バス北大阪線を紹介します。
土曜日の夕方に野田阪神前停留所を訪れました。天六行きのバスは16時10分発しかありません。このように運行本数が極端に少ないバス路線のことをバスマニアの間では「免許維持路線」といいます。ようするに採算度外視で路線免許を維持するためにバス便が存在するということです。
ところで、野田阪神前~中津間は大阪シティバス58系統と重複し、大阪シティバスは中津から大阪駅前に向かいます。58系統の日中時間帯の運行本数は1時間あたり2本。大阪駅に寄るか否かで、ここまで運行本数に差が生じます。
16時頃に天六行きの阪神バスが来ました。筆者を入れて乗客は数人。バス停周辺では阪神バスを指差し、大阪シティバスか否かを質問する人を見かけました。
阪神バスでは大阪シティバスで使える大阪市発行の敬老パスは利用できません。これも阪神バスが使われない要因の一つになっています。
16時10分定刻に天六へ向けて発車します。周辺はマンションが目立ちますが、まとまった数の乗降者はありません。中津で阪急線のガード下を通り、そのまま天六へ一直線。
ちょうど、茶屋町の北側を通ります。中津~天六間の途中のバス停はすべて通過し、16時30分頃に天六に着きました。野田阪神前からの利用客の多くは天六まで乗り通しました。
なぜ、ここまでバスの本数が減ったのか
阪神バス北大阪線の運行本数が今日の姿になったのは2021年7月こと。1975年までは路面電車・阪神北大阪線が存在し、日中時間帯は15分間隔で運行されていました。
阪神北大阪線は阪神初の支線として1914年に開業。当時の沿線は箕面有馬電気軌道(現阪急)中津駅の開業に伴い開発が進みました。また淀川・中津川の水運にも恵まれ、沿線には多数の工場が建ちました。
また終着の天六には阪急京都本線の前身にあたる新京阪鉄道の終着駅、天神橋駅がありました。天神橋駅には駅ビルが建ち、大阪を代表するターミナル駅でした。
しかし路面電車の廃止後は工場が郊外へ移転し、工員の姿はめっきり減ることに。さらに天六は大阪メトロ・阪急が乗り入れる事実上の中間駅となり、かつてのようにターミナル駅とは呼べない状況です。
沿線には阪急が手掛けた再開発地域、茶屋町がありますが、阪急大阪梅田駅からアクセスするのが一般的です。このような沿線環境の変化から野田阪神前~中津~天六ルートの需要は減退したのです。