【きょうだい児って?⑤】重度障害のある弟が余命3年宣告 両親も息子に手術の判断一任「苦しく、つらい判断だった」

きょうだい児って?

山脇 未菜美 山脇 未菜美

神戸市内の特別支援学校で働く黒田崇さん(55)は、重度障害の弟の世話を続けてきました。黒田さんのように、自分の兄弟姉妹に、障害者がいる人のことを「きょうだい児」といいます。6年前、弟の病気が発覚し、その3年後に弟を看取りました。両親も高齢化して体調がすぐれず、入退院を繰り返していた時期。「余命3年」と宣告された時には、手術をするかどうかの選択を任されました。手術はリスクが高く、寝たきりになる可能性もありました。「弟にとって食べるのが唯一の楽しみ。そこまでして生き長らえさせていいのか、手術せずに死なせていいのか…」。苦しくて、つらい選択に迫られました。

愛情を注いでいた母

黒田さんは3人兄弟の次男。兄は3歳年上で、勉強熱心な優等生。3歳年下の弟は左半身がまひで、体がほとんど動かせない。大きな「てんかん」発作もあり、話せない。発作が出ると、突然倒れて長時間けいれんを起こした。

母は弟を大事に世話した。だが、一緒にいられない時もある。「兄貴は世渡り上手な部分もあって、僕がいつも留守番役になっていたんですよね」と黒田さん。幼い頃から母に頼まれて、弟が倒れて頭を床にぶつけないように見守ることもあった。

心臓の疾患、破裂したら即死

 弟は自宅で過ごし40代に。転機は約10年前。70代の母はひざを悪くし、歩行が困難に。介護ができなくなり、泣く泣く障害者向けの福祉マンションに入居させることに。割高で、食費に月5万円、生活費に8万円超が掛かった。弟の障害基礎年金でまかなえず、兄にお金を出してもらい、崇は弟の保護責任者になった。てんかんのほか、排便の悪さ、体重で圧迫されてできた皮膚のただれ…。月に何度も連絡が入り、そのたびに駆け付けた。

が、2017年に弟は心臓の疾患が発覚する―。

血管の壁が弱くなって心臓が膨らむ大動脈瘤と弁の逆流。「すぐに手術しないと破裂したら即死です」。医師は言ったが、重度障害者の手術リスクは高く、手術中にてんかん発作が起きれば、どうなるか分からない。人工呼吸器が必要になり、別の部位に影響が出て胃ろうになったりする恐れもある。両親は入退院を繰り返していたため、決断を黒田さんに預けた。

「もう、気持ちが真っ暗でした。ただ弟は、僕がケーキやお菓子を差し入れるとうれしそうに食べてくれていたんです。それすらできなくなるのが嫌で…手術はしないことに決めたんですけど…」

命の選択をしてしまった。そう思い悩んでいた時、弟が長年通う、てんかんの主治医の言葉が響いた。「命の選択ではありません。お兄さんは、弟さんにとって一番いい判断をされたんですよ」。救われたようで、涙があふれた。生きている間は目いっぱい、楽しいことをしてあげたいと思った。

刻刻と弱る弟、「延命はしない」と決断

少しでも時間があれば面会に訪れ、自身がホスト役を務める障害者のボランティア活動にも連れて行き、家族で食事も連れていった。いつ電話が掛かってきても病院に向かえるように、お酒も控えた。

弟の心臓が鈍い音を発するようになり、20年10月中旬に救急搬送。延命措置をしなくて、本当にいいのか。医師に念押しの確認をされたが、黒田さんは「しない」ときっぱり伝えた。医師によると、余命は1~2週間。コロナ禍だったが、個室にして、面会させてくれた。

弟の意識はあり、目を開けている。しゃべらないけど、「生きたい」と訴えるような眼差し。思わず、病室で声を出して泣いていると、看護師が背中をさすってくれた。「ゼリーを少しくらいだったら大丈夫ですよ」と病院が許可をくれた。母親も何度か、病院に連れてきた。刻々と弱っていくのに、目を見るのがつらかった。

最期の日は、10月28日夜明け前。容態が悪いと連絡が入り、病院へ。前日も目は開いていた。「なぜか僕が行くと持ち直したんですよね」と黒田さん。だが、数時間が経ち、握った手がだんだん冷たくなるのが分かった。枯れていくように息を引き取った。

あれもできなかった、これもできなかった―。葬儀の日にも、自責の思いが消えずにいると、同じような境遇のきょうだい児の先輩が声を掛けてくれた。「できないことを考えたら、いくらでも出てくるけどね。弟さんにしたこと考えてみて? それを数えたらいいのよ」。自分の中で納得がいくような気がした。

今、黒田さんは、きょうだい児の拠点づくりに励んでいる。

「きょうだい児の卒業は、きょうだいが亡くなることしかないのでね。自分が残されているのは、弟にできなかったことを含めて、きょうだい児の支援をすることなのかな」。

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