トラ番記者が見た上岡龍太郎さん…甲子園球場記者席で、鉛筆を舐めていた横顔にのぞいたプライド

沼田 伸彦 沼田 伸彦

「探偵!ナイトスクープ」「鶴瓶・上岡パペポTV」などのテレビ番組で人気を博した元タレントの上岡龍太郎さんが、5月19日に死去していたことが6月2日に分かった。81歳だった。3日付のデイリースポーツでは、1面トップにとどまらず、3面ではタイガースファンとしての姿が、芸能面では見開きであふれんばかりの故人の思い出が語られている。

 上岡さんはちょうど私がトラ番記者として記事を書いていた時期に、デイリースポーツで連載コラムなどを書いていただいた。その甲子園の記者席で、いまも鮮明に残っている上岡さんのある姿に触れた。ある意味、衝撃的だった。

 その日、上岡さんには翌日の紙上でのタイガース戦の観戦記のようなものをお願いしていた。記者席で試合を観て、感じたことを原稿にしていただく…とはいってもこういう場合、ご本人が原稿を書くことはほぼ皆無で、担当する記者が話を聞きながら文章にまとめる。最大の理由は締め切り時間の存在だ。

プロ野球のナイターが終わって取材をし、翌日の朝刊に間に合うように決められた分量の原稿をまとめるという作業は、与えられたわずかな時間との厳しい戦いでもある。「どんな名文を書いても、締め切りに間に合わなかったら牛の餌や」。新人のころ、先輩記者からよく言われた。

この点については面白い話がある。バルセロナ五輪を取材したときのこと。あるスポーツ紙は大会を通しての観戦記筆者として、当時超売れっ子の直木賞作家と契約し、現地に派遣していた。時差の関係もあって、日本の朝刊に間に合わせる原稿は、現地ではまだ陽の高い時間に競技の結果すらわからない状態で書き上げなくてはならない。

その作家のお世話役でそばについていた記者がぼやいていた。とにかく原稿がまったく書けないのだという。本人の考えがまとまっているかいないかなどお構いなしに突きつけられる締め切り時間に頭も筆も整理ができないのだ。結局、その作家の原稿は競技の観戦記という形ではあきらめざるを得ず、以降はスタイルを変えて現地発の原稿として紙面に掲載されることになった。

その日甲子園の記者席では、上岡さんの原稿を担当して代筆する芸能担当の記者がそばについていて、試合後上岡さんの話を聞きまとめようと待ち構えていた。ところがそれをよそに、上岡さんは当たり前のように自分の前にデイリースポーツの原稿用紙を広げ、カバンから鉛筆を取り出したのだ。

担当者は慌てた。締め切りに間に合わせなければ紙面に穴が開くことになる。上岡さんにもそのことを伝えて、自分が代筆しようとするのだが、上岡さんは譲らなかった。

そのとき、私が座っていたのは上岡さんの席からは横並びの少し離れた場所。バタバタした雰囲気は伝わって来たので、自分の原稿を書きながらチラチラと横目を走らせた。そのときの上岡さんの原稿用紙に集中し切った姿には周囲を寄せつけないものがあった。それが癖なのか、少し筆が止まると、鉛筆の先を口元に運んで舌先で舐めながらしばし考えこみ、再び紙に走らせる。

邪魔にならぬよう、やきもきしながら黙って傍に座っていた担当者の心配をよそに、原稿はキチンと時間内に書き上げられ、当時の送信手段であったファックスに吸い込まれるようにして本社に送られた。

締め切りに間に合わせるように原稿を書くことは、何も記者の専売特許ではない。端からそこはプロにお任せを、という雰囲気が上岡さんのプライドに触ったのに違いない。もちろん出来上がったものはほとんど手直しする必要もなく、翌日のデイリースポーツを飾った。

訃報を伝えるデイリースポーツの紙面には、ふれあいのあった多彩な人がそれぞれに故人を語っている。そのひとつひとつに、上岡龍太郎という人の生きざまが凝縮されて浮かび上がっていて、目が離せなかった。

あの夜、鉛筆を舐めていた横顔が私にとっての上岡龍太郎、唯一の貴重な思い出である。

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