鈴木さんとは近鉄担当を2年務めた後も、取材の現場などで顔を合わせることはよくあり、その都度声をかけていただいて近況などを報告はしていた。しかし同じテーブルを囲んで食事をするとなると38年ぶりのことになる。
お店にやってきた鈴木さんは髪の毛こそ真っ白になり、少し太った印象ではあったが、おなじみの「草魂節」は昔のままで、空白だった時間はすぐにどこかに飛んでいった。
ビールで乾杯の後は、鈴木さんが持参してくれた珍しいリキュールを開けることになった。ラベルには象の顔のイラストが描かれている。裏を読むと南アフリカ共和国の酒で、アルコール度はワインや日本酒とほぼ同じ17度。ペットボトルのラテと同じ、いわゆるコーヒー牛乳色をしている。「アマルーラ」というこのリキュールの原料は象が好んで食べるマルーラという木の実であることがあとで調べてわかった。
下戸の岩本部長はソフトドリンクに切り替え、初めて口にするそのクリームリキュールをふたつのワイングラスに並々注いで再び乾杯した。リキュールを空け、2本目の赤ワインを飲み出した頃だろうか。鈴木さんが「そういえば沼田さんとは生々しい話もあったな」と昔話を持ち出してきた。それは自分にとってもちろん忘れることのできない話だが、鈴木さんが細かいことまで覚えていたのには驚いた。
その話というのは、鈴木さんがユニホームを脱いだ1985年オフのこと、デイリースポーツ専属の評論家にというオファーを携えて鈴木家を訪ねた。話を聞くと鈴木さんは頭を下げ「せっかく声を掛けてもらったのに申し訳ない」と、競合紙の世話になるつもりであることを包み隠さず打ち明けた。条件は両紙遜色なかったが、鈴木さんは判断の理由として最も尊敬するプロ野球の大先輩の名前を挙げた。
「あちら(競合紙)には専属評論家として鶴岡(一人)さんがおられる。あの人の近くで勉強したいことがいっぱいあるんや」
鶴岡さんといえば、南海を率いて1773勝を重ねたプロ野球史に輝く大監督。言わずもがな、鈴木さんの中には引退後の野球人生の師と定める思いがあったに違いない。
条件の差なら会社に談判してでも埋める算段はあったが、こればかりはどうしようもないこと。「わかりました」と引き下がるしかなかった。このときのことを忘れずにいてくれたのだ。
そんな昔話が2時間や3時間で終わるわけもなく、2軒目はこれも行きつけのカラオケスナックへ。今度は鈴木さんが親交のあった作詞家の山口洋子さんがそのノドに惚れ、鈴木さんのために書いた「草魂の歌」の話になった。山口さんが猪股公章さんに曲を依頼しレコード化も決定。当時、このふたりの作詞作曲となれば、それだけで話題になるに違いない黄金コンビだ。
ところが吹き込みへ向け、猪股公章さんの自宅でピアノの前に立って最後のレッスンを受けている最中に、鈴木さんがふたりに向かって突然頭を下げ「先生、すんません。オレがやらんとアカンことはやっぱり野球や。この話、なかったことにしてください」と言い出し、レコード化は幻となった。
ただし曲としてはすでに完成しており、カラオケの伴奏は望むべくもないが、世界でただひとり、鈴木さんだけがマイク片手にアカペラで歌うことができる。
かつてプロをも唸らせたノドは、75歳を超えてますます健在だった。グラスを干すピッチも昔と変わらない。語り残した話もまだ山ほど。次回に託すしかあるまい。