中2で引きこもりになった少年「親に否定され続けて何もする気がなくなった」 ブログにつづった思いに、母親が感じたこと

山脇 未菜美 山脇 未菜美

私の不登校の始まりは

中学二年生頃でした。

私の不登校のきっかけは

親による私の否定でした。

私の将来が心配で否定していた

ということも分かっていたのですが

自身を否定する人間に対して

心を開くかどうかは別問題で

それが原因で私は家族が嫌いでした。

学校が嫌、勉強が嫌といった原因ではなく

ただ全てを否定されたことによって

何もかもするエネルギーがなくなってしまいました。

ですので、外部からのアプローチで改善することもなく

後述しますが、仲直りができた高校三年生頃までは

ほとんど改善することもありませんでした。

そのころから私は否定されるだけなので

会話をあきらめ何か話し合いの場や会話があっても

基本的には返答をしませんでした。

 高校の入学から高校の不登校になるまで

全日制の高校入学から一年くらいは

私も通常通り登校することができていました。

ですが一年の終わり頃から不登校気味になってしまい

そのころからまた母の否定が起こり始めました。

否定されて、何もかもエネルギーがない状態では

将来のことなどどうでもよくなりますし

その状態で将来を案じて何かを口出しすることや

行動を促すことをされても鬱陶しいだけで

何か行動を起こすことはありません。

そして高校の二年生の10月頃に

N高等学校へ編入するまで不登校の状態は続きました。

高校二年生、N高等学校編入から高校卒業まで

まず、N高等学校について説明しておくと

極端に実際の対面授業を行う回数が少ない

通信制の高校です。

そして私は、N高等学校に編入後

課題などをやりつつ気ままに生活していました。

そうして2か月ほど経った高校二年生の12月頃に

N高等学校の進級の学費納入についての

お知らせが届きました。

そしてその時、その書類を私が母に対して提出すると

母が私に対して、学費を払ってほしいなら

頭下げるのが筋云々の話をしてきた

ということがありました。

私自身も高校卒業にもそこまで価値を感じていない

というと少し齟齬がありますが

全てがどうでもよくなった状態だったので

卒業できればラッキーくらいの価値観でした。

言ってしまえばN高等学校への編入についても

全日制の高校の担任の勧めなど

その場の流れで編入した状況だったので

それを続けるために頭を下げろと言われても

どうでもいいし

そもそも自分を否定してくる人間に関わりたくない

というのが正直なところだったので

その話も無視していました。

当時、私は東京などへ遊びに行って

数日家を開けることも多かったため

コロナ禍だったこともあり

母は一人暮らししている姉の家へ退避。

私は実家で一人暮らしのような状態でした。

その状況そのものは、気ままで楽で

私としてはとても最高の生活でしたが

そんなこんなで家族関係の

こじらせ具合は相当な物でした。

私はその学費関連についての連絡については

もう目にもしたくなかったので

東京へ数日旅立ち、連絡先もブロックして

気分をリフレッシュするため遊んでいました。

そうして数日あけて、家へ帰ってくると

結局学費は納入した旨の連絡を受け

そうなんだ~くらいで過ごしていました。

あまり記憶が定かではありませんが

確か、母が知り合いに愚痴っていたところ

息子さんはそれ(学費納入のお知らせ)を

渡してきてる時点で、進級したいという

意思はあるのだし、払ってあげたら

といった感じの擁護をしてもらえたようで

そこで母の少し考え方が変わったような

節はありました。

 仲直りの流れ

仲直りした時期については

あまり覚えていませんが

高校三年の冬から

卒業くらいまでだったと思います。

どういった流れだったか

最初については覚えていませんが

母が今までの行動や

否定していたことについて謝罪をし

泣き出したことは覚えています。

私も自分を否定しない人間であれば

忌避感も覚えないので

過去のことは水に流し

謝罪を受け入れました。

私に対する行動の裏には

母も精神的に厳しい時期であったことや

私の将来への心配があったことも説明され

理解し納得できるものだったので

私も謝罪を受け入れることができました。

 母の価値観が変わることとなったきっかけ

母が話していた内容は

知り合いの息子さんの死でした。

知り合いの息子さんも

私とそう変わらない年齢だったようで

死因についてまでは詳しくは知りませんが

自殺のような話を聞いた記憶もありました。

おそらく私が一定期間家を空けることが多く

そのまま帰ってこない

もしくはふらっと自殺してしまう

そういったこともあると思ったのでしょうか。

いつ死ぬかなんて本当にわからない

このままの関係性で終わってしまうことへの

後悔が残りかねない状況であり

謝罪をすることを決めたようでした。

 不登校の頃にしてほしかったこと

私は不登校になった原因が母だったので

親にしてほしかったことは、肯定でした。

親が原因ではない場合でも

親に相談できない関係性であるということは

正直言って親が子にできることは

あまりないと思います。

親と対等に話せる関係性であれば

友人のように相談することも

できたかもしれませんが

「親と子」という関係で育って

築いてきてしまったのであれば

そういった際に親に相談することは

難しいでしょうし

その結果が心を開かれていない

ということでしょう。

その為、否定だけはせず

子が何かしたいと

自分の意志で行動を起こそうとした際は

サポートしてあげられるように

待っていてあげてほしいです。

逆にしてほしくなかったこと

してほしくなかったことについては

少し難しいですが

まず子の原因にもよると思います。

私は親に対して

嫌悪感を抱く段階まで行っていたので

そもそも関わらないでほしい

というものでした。

過去の母の記事にも

書いてあるかと思いますが

親の心配などから来る行動などが

結果的に子自信を否定し

追いつめられることもありました。

身近な存在に否定されるというのは

身近であればあるほど

大きな影を落とすものです。

私は小さいころから母親っ子だったので

その存在に否定されるということは

とても心に大きな影を落としました。

また、あまり私も裏事情は知りませんが

片親だったこともあり

兄を通じてお説教のようなものも

中学生のころにされたことがありました。

軽くビンタされるくらいのものでしたが

まぁはっきり言って私はそこで

完全に兄も嫌いになりました。

そのようなこともあり

家族の誰も頼れず

かといって友達にこういった内容なんて

相談できるはずもないので

私は恋愛に依存するように

なっていきました。

何も味方がいない状況で

恋人だけがすべてを打ち明けられ

依存できる唯一の救いでした。

親として将来を心配する気持ちもわかりますが

そのまま行った将来が明るくないことなんて

簡単なことは子供自身も分かり切っています。

理由が親などではなく

学校や人間関係だったとしても

将来が明るくないことを

理解した上で

どうでもいいと思うところまで

来てしまっているから

すべてを投げ出してしまうのです。

そこに対して子が正常なレベルで

執着や危機感があれば

まずすべてを投げ出す所までは

行っていないでしょう。

その為、親が将来を心配して

行動を起こしたとしても

すべてが無駄で子供が動くことは

正直あまりないでしょう。

鬱陶しく感じられ

動かないことはほとんど

確定しているみたいなものなので

余計にこじらせる原因となるので

正直しないほうがいいとは思います。

子を心配し行動を起こさなかったことで

後悔したくないのであれば

しても良いですが

それに対する子の思いは

おそらくどうでもいい将来についてで

鬱陶しい一心で

行動を起こすことはなく

親のその行動に対しては

子の行動が返ってきます。

より、こじらせて

より大きな後悔を生むこともある

と思いますので

そこはしっかりと天秤にかけてから

行動すれば良いと思います。

まいどなの求人情報

求人情報一覧へ

おすすめニュース

気になるキーワード

新着ニュース