昨年の晩秋に兵庫県の里山で自給自足の暮らしをする友人夫婦をピアニストの川上ミネさんと訪ねた。同じ志向を持ち、海の幸豊かなスペイン北部の町サンチャゴ・デ・コンポステーラで暮らす川上さんにはこれ以上ない癒しの時間となったことはこのブログでも紹介した。
そのお礼にというわけではないが、川上さんの日本での拠点である京都のスペイン料理の店「ラ・マーサ」を紹介してもらった。
川上さんが暮らすサンチャゴ・デ・コンポステーラはキリスト教三大聖地のひとつ。スペイン最北西に位置し、ポルトガルに接するガリシア州の州都でもある。豊かな食材の味をシンプルに生かしたガリシア料理はスペインの中でも特別な存在だ。
店は京都市役所の近く。御池通から御幸町通を少し北に上がったところにある。オーナーシェフの木下清孝さんは20代のころにマドリードに渡り料理の修行を積んだ。店に行く前に周辺のエリアをぶらぶら歩いてみたが、驚いたのはとにかくスペイン料理を看板にした店の多いこと。そんなエリアにあってガリシア地方の住人でもある川上さんが「ここが私のイチオシ」と太鼓判を押すだけあって、おまかせで次々に出てくる料理は見た目も味わいも異国感に満ちていた。
最初の一皿は自家製の生サラミ「ソブラサーダ」と羊のチーズ、カラスミ。このソブラサーダは地中海西部、バルセロナの沖に浮かぶマジョルカ島のソウルフードだとか。木下さんによると、あるとき川上さんが店にやって来て「お願いだからこれを作ってみて」と小指の先ほどのソーセージのかけらを差し出されたのだという。その頃、川上さんはコロナ禍でしばらくスペインに戻れない時期で、手元に置いて楽しんでいたソブラサーダが尽きかけていた。そこで何とかその味を再現できないか、木下さんを頼ったというわけだ。
わずかな量のサンプルを基に木下さんが再現してみせたソブラサーダの出来栄えに川上さんは目を丸くする。そんなエピソードを聞きながら、初めて口にする珍味を存分に楽しんだ。
二皿目はスペイン名物の小皿料理、タパスの盛り合わせ。カタルーニャ産焼きネギ(パプリカとアーモンドのペースト添え)、コロッケ2種(タラとジャガイモ、生ハムとチーズ)、イワシの酢漬け(ニンジンのサラダ添え)、ラタトゥイユ。
続く三皿目はタラの白子のグラタン。
メーンの四皿目は目鯛の蒸し焼きが登場した。
木下さんによると、スペインで食される海産物と日本で食べられる海産物に種類としての違いはほとんどないないという。ただどの魚介類をとっても、スペインのものの方がサイズが大きい。その点で木下さん自身が一番驚いたのは舌平目。厚さ5㌢ほどもある切り身がステーキとして供されたときは目を丸くし、その味の豊かさに感心した。この日の目鯛もサイズを意識して80㌢ほどの大物を仕入れてあった。
そして締めは店の看板にもなっているパエリア。多彩な種類の中からこの日選ばれたのは豚肉とサツマイモ、シメジ、黒豆を具材に使ったものだった。デザートのケーキも小麦を一切使わず、アーモンドで生地を作ったというこだわりが。
昔、ある大手旅行代理店の人からこんな話を聞いたことがある。ヨーロッパで1週間のツアーを組むとしたとき、昼食の設定が一番楽なのはスペインとイタリア。毎日違うメニューを難なく揃えられるから。そんなことを思い出しながらすべてを堪能できた一夜だった。
ガリシア地方の海岸は複雑に入り組んだ地形が特徴で、日本でも用いられる「リアス式海岸」の「リアス」とはガリシア語の「リア(入り江)」の複数形だ。日本を代表するリアス式海岸の岩手県三陸地方に九戸郡野田村という小さな村がある。2011年の震災で大きな津波被害を受けたこの村と、ガリシアの「リアスつながり」を生み出し復興の後押しができないか。川上さんが取り組む活動のひとつでもある。その一環で木下さんとともに現地を訪れ、三陸の海の幸を使ったガリシア料理教室に子供たちを集めたい、ディナーの締めくくりはそんな話だった。