JR三鷹駅(東京都)から南へ直線距離で約2.5kmの場所に、青い屋根の細長い建物があって、航空写真でもよく目立つ。ここは国土交通省が所管する「海上技術安全研究所」の施設で、そのルーツは1916年に発足した逓信省管船局船用品検査所。初めは東京都中央区にあったが、戦後に三鷹へ移ったという。同研究所の広報担当に話を聞いた。
航空写真を見ていると…際立つ存在感
東京郊外にある三鷹市の航空写真を見ていると、杏林大学と住宅地に囲まれた場所に忽然と細長い建物が目に入る。大型の何かをつくる工場にも見えるが、じつは海上技術安全研究所という研究機関である。細長い建物の内部は全長400メートル、幅18メートル、深さ8メートルもある超大型の水槽で、1966年に完成した。正式には「三鷹第二船舶試験水槽」というそうだ。
ここでは超高速船や大型船の模型を用いて推進性能や操縦性能などの試験ができるという。これほど大きな研究施設が、なぜ三鷹市につくられたのだろうか。
「初めから三鷹市に所在していたわけではありません」
「逓信省管船局船用品検査所」として1916年に発足した当時は、現在の東京都中央区にあった。1927年には「逓信省管船局船舶試験所」と名称を変え、さらに1940年に「逓信省船舶試験所」となった。
戦時中は軍艦の開発にかかわる研究もしていたのだろうか。
「戦時中は船舶試験所という組織でした。当時の所掌業務は、船舶および鎖、錨、索、船灯、救命艇、救命器具などの船用品に関する試験や研究でしたので、その分野の研究を実施していたと思われます」
三鷹市に移ったのは、戦後になってから。都心から40km以内の距離にある広大な平坦地で、交通便利、環境良好な土地を探した結果、現在の場所に決まったそうだ。戦後は運輸省に所管が移り、1950年に「運輸技術研究所」、1963年には「船舶技術研究所」、2001年に国土交通省所管の「独立行政法人海上技術安全研究所」と変遷し、2016年に海上技術安全研究所、港湾空港技術研究所(神奈川県横須賀市)、電子航法研究所(東京都調布市)の組織が統合されて「国立研究開発法人海上・港湾・航空技術研究所」(通称「うみそら研」)となった。だが、施設が1カ所に集まったのではなく、3つの研究所は引き続きそれぞれの場所にある。
組織が統合されて「うみそら研」になったが「研究所の特性やプレゼンスを損なうことがないように」とのことで、統合前の旧名称は今も継続して使われている。
国土交通省が所管する研究機関と聞くと、なんだかお堅いイメージを抱く人が多いかもしれない。だが、日ごろの研究活動や取り組みなどを見られるイベントとして講演会、セミナー、各種技術の公開実験なども行われている。海上技術安全研究所ホームページで告知されているから、興味がある人はチェックしてみたらいかがだろう。
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▽海上技術安全研究所
https://www.nmri.go.jp/
▽国立研究開発法人 海上・港湾・航空技術研究所
https://www.mpat.go.jp/