空から見れば…まるで田畑にはめ込まれた電子回路 秋田県・大潟村の不思議な光景

空から見てみれば

平藤 清刀 平藤 清刀

秋田県秋田市の北に位置する南秋田郡大潟村を空から見ると、周囲を濠に囲まれた形をしており、大部分が広大な田畑になっている。その一角に村役場などの行政機関や住居が集中しているエリアがあって、まるで田畑にはめ込まれた電子回路のようにも見える。

このユニークな区画はどのようにしてつくられたのか、大潟村役場総務企画課に聞いた。

かつては琵琶湖に次ぐ日本で2番目に大きな湖だった

大潟村の周囲には周濠のような水域があって、村はその水域に浮かぶ巨大な島にも見える。

「もともと『八郎潟』という湖で、その規模は東西12km、南北27km、周囲82km、総面積2万2024ヘクタール。琵琶湖に次ぐ日本第2の湖で、約70種を超える魚介類の宝庫でもありました」

その八郎潟を干拓してできた大地が、現在の大潟村である。

1952年、当時の日本は食糧不足が大きな問題となっていた。農林省(当時)は、食糧の自給率を上げるため「食糧増産5カ年計画」を策定。その中で干拓事業が重要であるとして、八郎潟の干拓計画が検討された。しかし当時、日本各地で行われていた干拓事業は規模が小さく、八郎潟のような大規模な干拓を行うには技術が不足していた。とりわけ困難とされたのは軟らかい地盤上に堤防を築くことだった。それでも当時の内閣総理大臣・吉田茂は、この干拓事業に強い意欲をもっており、打開策としてオランダ・デルフト工科大学からヤンセン教授とフォルカー技師を招いて指導を仰ぎ、干拓計画を改善。1957年5月に、干拓事業が着工された。

干拓の生命線ともいわれる堤防を軟弱な地盤の上に築くための工法が考え出され、20年の歳月と総事業費約852億円の巨費を投じた干拓事業は、1977年3月に完了。八郎潟に南北18km、東西11km、1万7203ヘクタールの新しい大地が生まれた。

行政機関や集落は総合中心地に集中配置

「工事の完成に先立って、干拓によって新しく生まれる大地に村がつくられることになりました」

新しい村名には「八郎潟村」が候補に挙がったが、すでに「八郎潟町」があって紛らわしいため、全国から一般公募されることになった。1612通、714種の応募があり、その中でいちばん多い15通の応募があった「大潟村」に決まったという。

八郎潟はかつて大潟と呼ばれていたことがあること、日本一の潟であること、国内の干拓事業の対象になった湖で最も大きいことが、応募者の提案理由だった。

こうして1964年9月10日、自治省から「大潟村」の発足が告示された。村に最初に住み始めたのは、就農者ではなく排水機場の職員と家族を合わせた14人だという。ちなみに2023年5月1日現在の人口は、男性1500人、女性1513人の合計3013人。1156世帯が暮らしているそうだ。行政機関や集落は「総合中心地」と呼ばれる一角に集中配置されている。

「干拓地のメリットは、農地面積が増え大規模農業が可能となり、大型の農業機械で効率的な農業を行うことができることです」

また、大潟村は観光事業にも力を入れている。春には「桜と菜の花まつり」、延長11kmにわたって咲く菜の花が楽しめる「菜の花ロード」、村の歩みを学べる「大潟村干拓博物館」など。また、村全体が「男鹿半島・大潟ジオパーク」に認定されている。

「他に類をみない広大な田畑と、春には桜と菜の花、夏にはサルビアとひまわりが咲き誇る豊かな自然が美しい村です。安心・安全でおいしいお米と野菜でおもてなししますので、みなさん是非一度足を運んでみてください」

干拓で生まれた大潟村の航空写真で空からの眺めを楽しんだり、実際に訪れたりして農業、観光、自然などさまざまな魅力に触れてみるのもいいだろう。

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▽大潟村
https://www.vill.ogata.akita.jp/

▽男鹿半島・大潟ジオパーク
http://www.oga-ogata-geo.jp/

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