どこから来てどこへ続くのか? 埼玉県志木市の農地も残る住宅街に、120メートルだけつくられた道路がある。空から見たら、まるで道路が切り売りされた(?)みたいな奇妙な光景だ。いったい誰が何のためにつくったのか。調べていくと、将来開通するバイパスのイメージを説明するための「実物大見本」だという。
1971年から50年以上も続いているバイパス整備事業
埼玉県志木市下宗岡に、4車線の立派な道路がある。歩道の幅は広く、歩道と車道の境界には街路樹が植えられている。一般的な道路と違うところは、全長がたった120メートルしかないことと、車輌が通行できないように柵が設置されていることだ。車が通れないなら、何のためにつくられた道路なのか。
結論からいうと、将来ここを通るバイパスの一部で、周辺住民に「こんな道路ができますよ」という具体的なイメージをもってもらい理解を得るため先行してつくられた、いわば実物大の見本だという。
もともとの計画は1971年までさかのぼる。東京都文京区を起点として埼玉県西部地域を通って、長野県松本市まで284kmにおよぶ一般国道254号線は、埼玉県南部でしばしば渋滞が発生した。それを緩和するため、1971年に富士見市で都市計画が決定され、バイパスが建設されることになった。その5年後の1976年に朝霞市と志木市でも決定。1980年には和光市でも決定され、富士見市下南畑(しもなんばた)から和光市新倉(にいくら)まで、4市をまたぐ6.9kmの区間に「一般国道254号和光富士見バイパス」として4車線のバイパスを建設する計画が動き始めた。
用地買収が遅れ気味の中で建設は進められ、2010年に和光市新倉から朝霞市上内間木(かみうちまき)まで2.6kmの区間が、暫定2車線で開通した。残りの区間も、用地買収と並行しながら工事が進められている。
図面を見てもイメージしづらいから実物大の道路をつくろう
埼玉県志木市は市街地をバイパスが通るため、近隣の住民は、交通量やそれに伴う環境の悪化を心配した。これに対し志木市では、広い植栽帯を設けるので住宅のすぐ脇を車が走るわけではないこと、騒音や振動の低減を図るために「環境緩衝帯」を設けることなどを、当初は平面図を見せながら説明したという。だが、説明を受ける住民側では、図面を見ても具体的にイメージしづらい。そこで用地買収が済んでいる区間に実物の道路をつくる計画が、2011年に決定された。翌年には完成し「こんな道路ができますよ」と実際に見てもらって、理解を得ようとしたのである。バイパス建設が進むと、この120メートル区間もバイパスの一部となって車が走る。
ところで、最初にバイパスの建設計画が決定されてから50年近く経って、道路の周辺を取り巻く事情が変化したり、道路建設の技術も進歩したりしている。この間に計画が何度も変更されながら、建設工事が進められてきた。開通すると、現在の国道254号線の混雑が緩和され、埼玉県南西部の幹線道路ネットワークの強化が期待されているそうだ。
では、いつ開通するかというと、一部で用地買収が遅れているため、見込みは2022年以降ということしか分かっていない。
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▽埼玉県ホームページ/一般国道254号和光富士見バイパス
https://www.pref.saitama.lg.jp/b1002/asakakendo254bp.html
▽パンフレット「国道254号和光富士見バイパス(令和2年7月)」について
https://www.pref.saitama.lg.jp/documents/28198/254bp_panfurettor2-7.pdf