なぜ、晩秋に海水浴? 水着持参の修学旅行生たちが日本海にドボン…幕末の儒学者がつないだ縁

山陰中央新報社 山陰中央新報社

 島根県隠岐の島町中村に、開学の祖が縁で毎年、奈良県立十津川高校(十津川村)の生徒が修学旅行へやってくる。新型コロナウイルスの影響で中止になることもなく2005年以来毎年続き、今年で18回目。10月26日、町内を訪れた一部生徒の持ち物には水着が…。晩秋も本格化というこの時期に「まさか」。

 十津川高校のある奈良県は海がない。同校教諭によると、近くに川やダム湖はあるが海までは遠い。いつのころからか隠岐の美しい海を見て、晩秋だが生徒が海水浴を始めるようになった。近年は「泳ぎたい者は水着を持参するように。昨年も泳いだ生徒がいる」と教諭が説明しており、晩秋の日本海の海水浴は恒例となっている。まさに同校に伝わる「奇習」と言っていい。

 地元の人も今年も海水浴があると勝手知ったる様子で、岸壁の飛び込み台にはしごをかけて砂浜を清掃していた。今回はボート部や陸上部の男子生徒5人が海に入った。西郷の最高気温は18・5度。当然、水温も冷たいが、若さで海水浴を楽しんでいた。

 十津川高校と島根県隠岐の島町の縁は、同校の前身、文武館を町出身の儒学者・中沼了三(1816~96年)が創設したことに始まる。医者の家に生まれた中沼は京都で学問に励み、孝明、明治両天皇の侍講を務めた。孝明天皇の勅命を受けて1864年、十津川で藩士の教育機関となる文武館を開いた。歴史と由緒ある高校と町のつながり。その中で、晩秋の海水浴という新たな奇習も受け継がれていくのかもしれない。

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