大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、源頼朝を中心とした前半部から番組タイトル通りの13人の重臣を中心とした後半部に入っている。13人は次々と粛清を繰り返していき、最後に勝ち残るのが北条義時である。
北条義時を演じているのが俳優小栗旬。この「小栗」という名字はそのルーツがはっきりわかっている。
平安時代末期、常陸国(現在の茨城県)には桓武平氏の武士である大掾(だいじょう)氏という一族が広がっていた。
大掾氏の一族は常陸各地に移り住んで、鹿島、行方、真壁など、それぞれ住んでいる場所の地名を名字とした。その中の一人、多気重幹の四男重家が常陸国新治郡小栗御厨(現在の茨城県筑西市)に住んで小栗五郎と称したのが小栗氏の祖である。
その孫重成は源頼朝に仕え、源平合戦では源範頼に従って転戦。文治元年(1189)には頼朝に従って奥州討伐に加わり、頼朝の命で焼け残った藤原泰衡の館の検分をつとめている。ということは、小栗旬の先祖はこのドラマの片隅に登場していた可能性がある。
さて、小栗氏はこの後も御家人として続いた。
室町時代の応永23年(1416)に起こった上杉禅秀の乱では、満重は禅秀方に属して敗れて所領を失い三河に逃れた。
満重の子助重は陸奥を経て常陸に戻り、永享12年(1440)の結城合戦で結城氏朝に属して功をあげて一時所領を回復した。しかし、その後の上杉持朝と足利成氏の争いに巻き込まれて再び所領を失い、以後はよくわからない。
ところで、「小栗」というと小栗判官を思い浮かべる人も多いだろう。
この小栗判官は実在の人物で、上杉禅秀の乱で上杉方について敗れた小栗城主満重の子助重のことである。助重は戦に敗れた後、一族のいる三河国に逃れる途中で相模国で毒を盛られたが、照手姫に助けられたという伝説がある。
伝説では、結局殺されて地獄に落ちた小栗判官は、閻魔大王の同情をかって蘇生、餓鬼阿弥の姿に変えられこの世に送り返されて照手姫と邂逅、のちに妻にする。
この話は「當世流小栗判官(とうりゅうおぐりはんがん)」という歌舞伎になって人気を得、今年7月の歌舞伎座「七月大歌舞伎」でも市川猿之助、市川笑也らによって演じられている。
ちなみに、三河国にいた一族はその後も続き、のちに徳川家康に仕えて、江戸時代は旗本となっている。現在も「小栗」は東海地方に集中している。