久しぶりに会った母は認知症だった…漫画家が直面した親の介護のリアル

喜多桐 スズメ 喜多桐 スズメ

漫画家の夫と2人の子どもの母で、自身も漫画家である喜多桐さん。「同居していたパートナーが急死した」という一報を受け、東京から大阪の母親の元へ。夫妻はそのとき初めて母親が認知症であることを知りました。この先、一人では生活できないことがわかると、一緒に東京に連れて帰ることにしました。そのときから介護のリアルを経験することになったのです。

久しぶりに会う母が認知症に

 今からちょうど10年前の2013年秋、母と同居していたカレシのJさんが急死したと、東京で暮らす私の元に大阪から連絡がありました。母は当時73歳、Jさんは享年80歳。母は夫(私の父)を早くに亡くし、女手ひとつで子どもを育て上げた後、60代後半にJさんと出会いました。Jさんも10年以上前に奥さまを亡くし独り身でした。

 人生の晩年を愛情を持って共に生活するパートナーがひとり暮らしの親に現れ、Jさんの家族も私の家族もふたりの同居に大賛成でした。ですが、別れの日はやってくるものです。

 大阪でJさんの葬儀を終え、慌ただしく東京に戻ろうとしていた私たちに、母がひとりでこの先暮らしていけない現実を叩きつけられました。ウチの母、どこからどう見ても認知症じゃん、でした。

 Jさんは亡くなるまで自分の家族にも私たちにも心配をかけないよう、日々、弱っていく母の介助をしながら暮らしていたのです。人生の晩年を優しくて誠実な男性と暮らせた母は幸せ者ですが、感謝しきれない気持ちと申し訳なさで一杯になりながら、大阪から東京へ母を連れて帰りました。

母は「脳血管性認知症」

 認知症と言っても色んなタイプがあることを、この時まで知りませんでした。代表的な4つ、アルツハイマー型認知症、脳血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症を、4大認知症と呼びます。

 認知症の7割はアルツハイマー型認知症で、海馬という記憶を一時保存する場所が委縮し大脳に情報を持っていきずらくなり、ゆっくり進行していくのが特徴です。

 私の母は脳血管性認知症でした。母は、40代で脳血種、50代と60代で脳梗塞を2回もやっているのが原因です。この、脳血管性認知症「まだら認知症」とも呼ばれていて、一部の認知機能はしっかり保たれているという特徴があり、10年経った今も、私の顔と家族の顔を認識してくれていて、ありがたいです。

排泄の指令が脳に伝わりにくい

 「おトイレ大丈夫?」という声をかけたときすでに、漏らしています。当初、母もさすがにやばい、と思ったらしく自ら頻繁にトイレに行きます。けれど、足元がおぼつかない。トイレに連れて行こうにも「大丈夫や!」と言って、介助を拒む始末。

 とはいえ、漏らします。排泄のコントロールが出来なくとも、漏らした事実と不快感は認知できます。ですが、大人の女性としてのプライドが勝ります。「なぜ、この私がおむつなどつけなければならないのだ」と、言わんばかりに尿漏れパッドも紙おむつも嫌がります。

 娘である私の言うことはほとんど聞いてくれない母ですが、孫の言うことを素直に聞いてくれて良かった。

 後に、入所する介護施設で職員さんたちは「紙ショーツ」とか「リハビリパンツ」と呼び、決して「オムツ」という名称は使わず、入所者さんのプライドを傷つけない気遣いをして下さっていました。プロはエライね。

 母を連れて出かける時がほんと大変。長時間になると、尿漏れパッドやオムツでは受け止めきれないぐらい大量になることがあります。移動でタクシーなど、車に乗せる時などはシートを汚さないか、ひやひやモノでした。常に母の座る座席の下にバスタオルを敷いて対処しました。

 認知症の親を持つ友人が、車に乗せるときは「ペット用のおしっこシート」が便利よ、と教えてくれたとき、みんな工夫しながら年老いた親と生活しているんだなあ、と感心したものです。

 母が寝るときはシーツの下に引く防水シーツが便利でした。いわゆる「おねしょシーツ」ですね。子どもが小さいとき買った記憶のあるおねしょシーツを広げながら、なんだか懐かしいなぁ、とまだ呑気に構えているのでした。

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