「保護しなければ良かったのか…」
ペロちゃんと名付けられた地域猫を保護し、そのペロちゃんを虹の橋のたもとへ見送ったHさんは今も自問自答しています。長年保護猫活動に携わり、自宅でも多くの猫と暮らす彼女が経験したことのない病気でペロちゃんが命を落としたからです。
その病気は糖尿病。他の猫と同じご飯を出していたにも関わらず、ペロちゃんだけ糖尿病にかかってしまいました。人間の食べ物をあげていたわけではない、大量に食べさせていたわけでもない。それなのに、なぜ…。
元々地域猫のペロちゃんが保護されるきっかけとなったのは、顎に出来た水疱です。この治療のためにHさんが保護し、治療後にペロちゃんが暮らしていた公園に戻しました。しかし、1カ月も経たないうちに水疱が再発。口を開けるのも大変そうだったので、今度は根本原因の歯の治療も行いました。この時、Hさんは一時保護のつもりだったのです。
水疱が良くなりもう大丈夫となった時、なんとペロちゃんが暮らしていた公園が工事のために閉鎖となってしまいました。これでは地域猫に戻すことはできません。なによりペロちゃん本人が、もうお外に出たくないと言わんばかりにベッドの下に籠城。トイレとご飯の時以外は出てこなくなりました。
「これも運命かな」
そう思ったHさんは、ペロちゃんを家の子にすることにしたのです。この時、ペロちゃんは15歳前後。地域猫にしてはとても高齢です。実はHさん、ペロちゃんが2~3歳のころから知ってはいたのです。時々撫でさせてもくれる子だったので、良い人に可愛がられているのかと思っていました。が、高齢になり病気がちになった時、ペロちゃんに手を差し伸べたのはHさんだけでした。
さあ、Hさんの家の子になったペロちゃん、お婆ちゃんなのに元気いっぱい!Hさんが仕事中はずっと寝て体力を温存し、帰宅後は大歓迎!短いお団子のような尻尾をピーンと伸ばし、喜びを表現してくれました。あとは缶詰が開く音も大好き!パコンと聞こえるとやっぱりお団子のような尻尾をピーン。
とても表情豊かな猫で、目で語るんですよ。あれは忘れもしない旅行から帰ってきた時のこと。Hさんをじっと見つめて、「トイレが汚れとるよ」と言ったのです。もちろん声には出していませんが、まるでそう言っているかのような眼差しだったんです。慌ててHさんはトイレ掃除をしました。ペロちゃん、猫又になりかけてる?
このように高齢でも元気いっぱいだったペロちゃん。けれど、Hさんの家の子になって2年も経たないうちに、おしっこの量が増えて動きも緩慢になってきました。動物病院での検査の結果、糖尿病と判明。食事制限とインスリン投与が始まりました。
Hさんはちゃんと治療さえすれば、年単位で生きさせてあげられると考えていました。それなのに、ペロちゃんの体はどんどん病魔に侵されていきます。今度は鼻の奥に腫瘍が出来てしまったのです。健康な猫なら手術で取れるものですが、糖尿病では手術は困難と告げられます。
Hさんは目の前が真っ暗になりました。こうなるなら食事制限などせず、ペロちゃんが食べたいだけ食べさせてあげれば良かった…。どんどん呼吸が苦しそうになるペロちゃん。食欲はなくなり、自分から動くこともなくなります。Hさんは少しでも楽になるよう、酸素ケージを借りてきました。夜は酸素ケージの隣に布団を敷いて眠ります。
ある日の夜のこと。いつものように酸素ケージの隣で眠っていたHさんの布団の中に、1匹の猫が入ってきました。この時Hさんは、ペロちゃんでない他の猫だと思っていたのだそう。そのまま抱きしめて眠り、朝起きてビックリ。なんとペロちゃんだったのです。もう頭をもたげることもできなかったはずなのに…。何とか力を振り絞り、布団の中に入ってきてくれたのです。
それがペロちゃん、最後の「言葉」でした。その日の夜、ペロちゃんは静かに旅立ちます。まだHさんの腕にペロちゃんの温もりが残っているにも関わらず。Hさんの家の子になって2年半の出来事でした。
時は流れ、まもなくペロちゃんが亡くなって1年。今もHさんは何が悪かったのか思い悩みます。彼女を悩ませるのは、まだ腕にペロちゃんの感触が残っているから。
でもよく考えてみたら、ペロちゃんは猫又なりかけさん。あの時はもう、目で語ることも尻尾ピーンもできなくなったから、Hさんに感触を残すことで伝えたかった言葉があったのでしょう。
その言葉は、「ありがとう」。
ペロちゃん、Hさんもうちに来てくれて「ありがとう」って言ってるよ。また会おうね。今度はお腹いっぱい、缶詰を食べようね。待ってるよ。