コロナ禍、ロゴスとピュシスの間で揺れる私たち 無限の新生命に思いを馳せて

北御門 孝 北御門 孝

「日本人は何を考えてきたのか」というNHKの番組が以前にあった(調べてみると2013年1月放送)。そのなかで「近代を超えて~西田幾多郎と京都学派~」とのタイトルの回があって、そこに福岡伸一氏(青山学院大学教授)が出演されていたのは記憶していた。しかし、「福岡伸一、西田哲学を読む」(明石書店)という書籍が2017年に出版されていたことは残念ながら知らなかった。それですぐに購入して読み始めることにした。

「西田幾多郎」関連の図書は何冊か持っているし、挑戦はしてみてもなかなか理解が難しく、一部のみ理解しているつもりでいたが、「福岡伸一、西田哲学を読む」のおかげでだいぶ理解が進んだ気になっている(まだまだ浅い理解)。

西田哲学を理解するためではあるが、この本のなかの重要な話題は「ピュシス(自然・有機的なもの)」と「ロゴス(理性・言葉・論理)」についてだ。

哲学者の池田善昭氏(統合学術国際研究所元所長)との対話のなかで明らかになっていくのは、基本的人権などは個体を守るためにロゴスの世界に作られたものであり、ピュシスにおいて生命はアンコトロールなものであって、生物にとっては個体より種全体の存続のほうが優先される。

機械論的な生命観は否定され(生命体の複雑さを機械論的に捉えてテクノロジーで制御するとすれば十分な注意を要する)、生命とは流れゆく分子の淀みにしかすぎないものであり、福岡氏のいうところの「動的平衡」という生命観が西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」の下の「逆限定」と同義であると導き出すことをメインテーマとしている。

やはり、西田哲学は難解に違いないのだが、ただ、この本をコロナ禍の現下において読めたことはよかったと思っている。それは、ネットの記事で福岡氏の別の対談を目にしたのだが、その内容を要約すると、「パンデミックはグローバリゼーションの帰結として起こるべくして起こった。ウィルスはそもそも生命システムの一員としての役割を担っており、本来は共生・共存していくべきものであって、ピュシスに対する畏敬の念から『正しく畏れる』べきだ。コロナ禍は、あまりにもロゴス的になってしまった現代社会へピュシスが揺さぶりをかけてきたのではないか。」といったもので、共感する。

すべての秩序は崩壊する方向に向かっている(エントロピー増大の法則)。堅牢・頑丈な建築物であってもエントロピー増大の法則は避けられない。もし永久に建築物を持たせようとするなら、可能かどうかは別として、積極的に短期で修理やメンテナンスを重ね、生命体のように数年ですべての建材が完全に入れ替わるようにしていかなければならないであろう。この話を聞いて、先日参拝してきた伊勢神宮における式年遷宮を想起した。違う方法をとってはいるが、20年に一度の「社殿の新調」を1300年にもわたって繰り返されてきたということは、無限の新生命に接することだいえるかもしれない。

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