財政破綻は放漫経営が原因
今月7日、突如「京都市財政破綻?」というショッキングな情報が全国を駆け回った。京都市の財政を立て直す新たな「行財政改革計画」の素案発表がその発端なのだが、中身はかなり深刻だ。
一部報道では、過剰な行政サービスとコロナ禍による税収減が原因だという様な報道や過去の地下鉄建設の借り入れが重荷になっているという報道がなされているが、これらは京都市当局の受け売りで、実はどれも原因の一側面であって本質を欠いている。京都市の財政問題に十数年向き合ってきた私の見解は、ひとえに経営者の危機感の欠如、言うなれば放漫経営が原因だ。
使い込まれた借金返済原資
これまで、京都市はサービスを維持するために、かなりの無理をしてきた経緯がある。それが今回の計画の中核を担う「公債償還基金」取り崩し問題だ。行政の借金は一般的な毎月返済するローンとは異なり、満期にまとめて返済する満期一括償還という仕組みになっている。公債償還基金とは、「借金の返済原資の積み立て」のことをいい、これは極めて厳格に計画的に積み立てをすべきものなのだが、京都市ではこの原資を毎年使い込み予算編成を進めてきた。
もちろん、当計画にも書かれている通り「禁じ手」であり、御法度な行為だ。そして、この返済原資が底を尽きると、返済が出来なくなり自治体は破綻をする。
計画が崩れたコロナの襲来
これまで棒倒しの砂を崩す如く、「まだ大丈夫、もう少し大丈夫」と山を削り続けてきたところに、コロナが襲来し、まだ大丈夫と言えない限界値に到達、令和7年に原資が底を尽き破綻することがわかった。現役市長からすれば、逃げ切るつもりが逃げ切れなくなった。そこで、今回の改革案が作られたというのが事の真相だ。
数年前から行政内部からもそうした声は聞こえてきたが、門川市長は行政サービスを優先し、今年になってからも市立芸大の移転に269億円という巨額の予算を計上、昨年の市長選では、地下鉄の新規路線を計画まで言及するなど、かなり緊縮財政には否定的な見方をしていた。
破綻へのカウントダウンは進む
そんな中、発表された今回の改革計画を一言で説明すれば、「改革を推し進め、令和7年の破綻を令和15年まで延命した」という内容だ。改革はするが、急激な市民サービスの低下を回避するために、引き続き禁じ手である返済原資の使い込みは続ける。つまり、「将来への負担は最小限に留める努力はするが一定やむなし」と結論付けたわけだ。全国最高水準で高いと言われている人件費のカットも実施はするものの、総人件費の1%未満に留めるなど、中身を紐解いても危機感はあまり伝わってこない。様々な目標が計画書には記されているが、残念ながら京都市の財政計画はこれまでから下方修正の繰り返しで、数値目標に対する信頼感も薄い。京都市はギリギリの土俵際まで追い詰められることが本計画から確定をしたというのが最新の京都市財政事情だ。
財政再建は不可能なのか?
ただし、復活の可能性がないわけではない。同じように返済原資を使い込みボロボロになったところから、使い込みを止め、使い込んだお金を積み戻し、さらに貯金までしっかり蓄えた奇跡の自治体もある。橋下徹知事が率いた大阪府である。彼を見て思うことは、危機感の共有とトップの覚悟だ。この期に及んでは、市民サービスのカットもやらざるをえない。京都市長が、嫌われることも承知の上で再建をやるという覚悟を決めれば復活の兆しはある。その覚悟があるか、トップの真価が問われているのではないだろうか。