渦中の時津風親方に直撃インタビュー「行ったのは雀荘ではない」…小川泰平氏に「真相」を激白

北村 泰介 北村 泰介

 日本相撲協会は22日、都内の両国国技館で臨時理事会を開き、1月の大相撲初場所中に不要不急の外出をするなど、協会の新型コロナウイルス対策のガイドラインに違反した時津風親方(47)=元幕内時津海、本名坂本正博、長崎県出身=を退職勧告処分(退職金30%減額)とした。それを受け、元神奈川県警刑事で犯罪ジャーナリスト・小川泰平氏は当サイトに対して、渦中にあった時津風親方を自身のYouTubeチャンネル「小川泰平の事件考察室」の取材で直撃していたことを明かし、本人の主張や退職を決意した思いなどを代弁した。

 時津風親方は初場所中にマージャン店に行っていたと報じられたが、小川氏は「マージャン店と報じられた店は、雀荘として営業はされていませんし、雀荘の看板もありません」と否定。その上で、同氏は「そこの社長の父親が以前は別の場所で雀荘を経営していたが、昨年、その社長が亡くなり、雀荘は閉めた。社長の息子さんの事務所に、そこの雀卓が2台あって、1台は使っていなくて、あとの1台は後援会の人や友人らが集まればマージャンをやることもあったそうです。時津風親方は『マージャンはやっていない』と話している」と本人への取材を元に証言した。

 小川氏は「なぜ(場所中の夜間、その事務所に)行ったのかというと、後援会の人に(初場所)11日目とか12日目のチケットを頼まれ、親方として直接渡すのがいいと思って持参したそうです。その時に別の後援会の人に頼まれ、翌日渡しに行ったが、いなかったので、また次の日に行って渡した。なお、隣には別の部屋があり、そこでご飯を食べたり、雑談したりすることもあつたようです。そうやって、いつものように通っていたところ、週刊誌の記者に見られていたようです」と明かした。

 つまり「雀荘に行った」のではなく、「かつては別の場所で雀荘を経営していたが、昨年亡くなった社長さんの息子さんの事務所に初場所のチケットを持って行った」ということになる。そして、時津風親方は「行先が何であれ、夜間外出のルールを破ったことは事実です」と小川氏のインタビューに答え、1月の時点で退職の意向を固めていたという。

 また、時津風親方は小川氏を通して当サイトの取材にも応じ、「僕が夜に部屋から出たことは、協会のガイドライン違反です。その日は両国国技館に午後6時半くらいまでいて、いったん部屋に帰って、着替えて部屋の者と軽く食事して、それからチケットを持ってその場所に行ったんです。協会のガイドラインでは、ちゃんこ番の買い物や、治療等以外は(場所中の不要不急の外出は)ダメです。だから、そこは反省して認めています。外出したという時点で僕は違反をしている」と正直に認めた。その一方で「マージャンをやったと報道されていることは事実と違います」と強調した。

 時津風親方は、小川氏に対して「僕は今年48歳の年男ですが、運気の悪い年になってしまった」と実感を込めた。さらに、同親方は「周囲から『なんとか踏ん張れ』と言われましたが、両親や親せきは『ここで身を引け』と。(1月の報道後に)母からも電話があって『寝られない』と言っていました。2日も3日も寝ていないと…。親に泣かれたら、ここで、ちょっと身を引こうかなと…。別の仕事をするか?まだ分かりませんが、子どももいますし」と胸中を吐露した。

 大関正代らが所属する時津風部屋は、部屋付きの間垣親方(元幕内土佐豊)が継承することも決まった。

 まな弟子と別れることになり、親方としての思いも吐露した。「僕は弟子に対して友達みたいな感じでガツガツ言わなかったです。弟子はかわいいですよ。正代は正直、強くなったと思います。彼はコロナのおかげで強くなったんです。どこにも外出できなくなって、夕方、毎日トレーニングをしていました。去年の大阪場所が終わったくらいから、体が大きくなり力もついた」。そして、高校3年の長男が今春、時津風部屋に入門する。親方ではなく、父として後方支援するつもりだ。

 小川氏は「犯罪を犯したわけではない。コンプライアンス委員会としては本人の話を聞き、その裏付けを取ったということでしょう。その上で協会の処分が決定した」と説明。時津風親方は、小川氏のインタビュー中も、かなり憔悴しており、何度も「悪いのは私ですから」と繰り返し、部屋の弟子や3人の子どもに対しても「申し訳ないしかない」と反省の言葉を口にしていたという。

 時津風親方が自らの胸中を語る様子は、小川氏のYouTubeチャンネル「事件考察室」(https://youtu.be/qgfTfI48_qA)で詳細にリポートされている。

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