「スタジオで出会った子どもたちは今?」父の遺影を抱いた入学記念撮影、東日本大震災から10年…漫画で思いを伝えたい

竹内 章 竹内 章

「ずっと自分の中にしまっていたんですが、経験した事を描いてみようと形にしました」とあるツイッターユーザーが体験を漫画にしました。東日本大震災時、被災地の写真スタジオで働いていたというあいしまさん。入学記念の撮影に臨むと、スタジオには遺影を抱く母子がいました。遺影の男性は夫であり父でした。母と弟を亡くした女の子はお父さんと並んでカメラの前に立ちましたが、表情が緩むことはありませんでした。大震災から間もなく10年。最後のコマに、作者のメッセージが描かれています。 

地元の写真スタジオに就職し、震災時、写真アシスタント兼デザイナーとして働いていたあいしまさん。自宅や職場は津波の被害を免れ、仕事も1~2週間で再開。そのためか、事の重大さを認識できなかったそうです。

最初に依頼された遺影写真は若い男性でした。「若いのにお気の毒」と思いつつ仕上げると、スタジオにはその遺影を抱える母子がいました。「奥さんと娘さんがいたんだ」「本当だったら3人だったはず」と、あいしまさんはこの震災がもたらした悲しみを初めて知ります。

数え切れないほど作ったという遺影写真。「見つかっていないけど一緒にしてあげて」との依頼を受け、お子さん2人とお母さんの写真をひとつにした写真を仕上げました。「こんなに悲しい親子写真は私の中でありません」。震災前年、七五三で撮影した女の子は津波にのまれ、撮影データがその子の遺影になりました。

入学記念の撮影に臨んだある女の子はお父さんから「少し笑ってみたら」と促されても、表情を変えませんでした。彼女は、お母さんと生まれたばかりの弟を亡くしていました。

一連の漫画が投稿されると、「こんなアングルから震災のつらい経験を見たことはなかった」「写真という形で被災者の皆さんの心を癒やす手伝いをしていたと思います」などと拡散。「今でも忘れることができません」というあいしまさんに聞きました。

―震災の日、どんな記憶がありますか。

「私の家は山の方にあり津波の被害は免れましたが、ガスや水道、電気が止まりました。その日の夜、遠く離れた海の上の空が真っ赤になったのを覚えています」

―内に秘めていたのは。

「あまり人に話す気持ちにもなりませんでしたし、何よりもなんらかの形でその子どもたちに影響が出てしまったらと思っていたからです」

-今回、形にしたのは。

「10年ということもありますし、私自身が結婚出産し、子どもが来年入学を控えています。親になって子どもと防災のことを考えるようになりました。一連の漫画を通して、伝えたいことをラストに込めました。面倒だとは思うかもしれませんが、この日だけは大切な人と防災の事をについて話してほしい、話していればいつか必ず役に立つ日がくると思います」

―反響について、いかがでしょうか。

「私の体験を見てくれた皆さんが涙してくれたり防災の方を考え直してくれたりと、たくさんのご感想をいただき、描いて良かったと思えました」

―表情を緩められなかった子どもたちには?

「どうしているだろうと思います。笑えていますか? 希望を持って生きていますか? そんなことを尋ねたいです」

   ◇  ◇

警察庁集計(2020年6月10日時点)によると、東日本大震災の死者は1万5899人、行方不明2529人。関連死は1都9県で3739人(2019年9月末)。合わせて2万2167人の一人一人の人生がなくなったことになります。そして家族や友人を失った人はその何倍も、何十倍もいるはずです。

阪神・淡路大震災20年の際に取材した神戸市東灘区の精神科医、松井律子さんは、悲しみや苦しみの記憶についてこう話していました。

「当初は片時も忘れることができなかった悲しみや苦しみの記憶も月日が経過して生活が戻り、新しい人間関係ができてくると思いだされる回数は少なくなります。それは自然な心の動きです。つらい記憶が頻繁に出てこなくなって苦しみから解放されることが人の心の再生です」

「それは忘却とは違います。何かの時に記憶がよみがえり、動揺することもあれば勇気づけられることもあります。喪失したものにいつも心を奪われてはあまりにもつらすぎます。悲しみや苦しみを記憶の中に保存し、普段の生活から見えないところに置いておく。それが亡くなった人への一番の供養です」

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