日本は「家族だから」「親だから」と無条件で親族の面倒を見るという習慣があります。しかし、自分の生活や体を犠牲にしてまでやらなければならないことではないと私は思います。適度な距離を保ちながら、お互いが生活していくために。あなたならどうしますか?友人の実体験を交えてお話しします。
家族に縛られる
友人のAちゃんは姉と弟がいる3人きょうだいで、姉はどこか抜けている天然タイプで可愛がられ、弟は跡取りとして大事にされていて、間に挟まれたAちゃんは幼い頃から寂しい思いをすることが多かったようです。
Aちゃんは「昔から私のことは二の次で、困ったときだけアテにされるというのが辛かった」と話していました。
それでも、頼りにされると断れなくて家族のために頑張ってしまうAちゃん。家族のAちゃんに対する態度は成人し、結婚したあとも続き、離婚後は酷さを増していったそうです。
しかし、あるとき転機が訪れたのでした。
頼りにされているのではなく共依存
Aちゃんは子どもたちとの生活で毎日慌ただしく過ごしていました。それでも、家族からのお願いがあると放っては置けないAちゃんでしたが、あるとき自分の子どもたちからの何気ない問いかけにハッとしたそうです。
子どもたちは幼いながらに家族の様子を観察していたようであるとき、「お母さんがそんなに頑張らなきゃいけないの?みんな大人なのに」と聞かれたそうです。
確かに、両親は共に健在。姉と弟もそれぞれ結婚して家族もいる。私が守らなきゃいけないのは、目の前にいる子どもたちじゃないか!と、Aちゃんは気が付いたのです。
「頼りにされると断れない」のは、「必要とされたい」というAちゃん自身の共依存からくるものだったのです。
幸せのためには断る勇気を
共依存を自覚し、自分はAD(アダルトチルドレン)かも知れないと気が付いたAちゃん。しかし、家族という鎖を断ち切るのはなかなか大変だったそうです。
家族と少しずつ少しずつ距離を置き、子どもたちと過ごす時間を増やしていったのですが、その間も家族からのお願いは続いていたんだそう。
「家族なのに」、「冷たい」、「困ってるのに」と、何度も言われ、心が挫けそうになったこともあったそうです。そんなときは子どもたちを抱きしめて必死に耐えたと話していました。
この話を聞いたとき、最後にAちゃんは「いま私を必要としている人は、目の前にいる自分の家族。だから、どんなに両親やきょうだいに批判されてもそこを曲げない勇気が必要だったんだよ」と顔に少し寂しさをにじませながらも、力強く言っていました。